2303271829 13℃ 曇り
卒園も卒業も終わり、入学式前に髪を切る人。
重なるということがこんなに大変だとは。
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あまりにも身の回りがあたふたと忙しすぎて、今回は一句も浮かばないのではないかとギリギリまで不安でした。
それでもなんとか調えられた。本当に良かった。
冬すみれ
陽だまりにのの字のかたち猫の冬
生きてゐる証としての息白し
冬すみれ留守電の声消せぬまま
不機嫌な女と葉牡丹の白と
雪の果不定愁訴を持て余し
ひと呼吸ひと息に春混じりくる
春泥にまみれ小石の艶艶と
消えかけのチョークの線路花曇
暗渠にも春雷ひとつ滑り落つ
教会のミモザ明るく灯りたる
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祖母も母もへバーデンだったので、気をつけているのだけれど、
やはり編み物は手がきつい編み方のくせがあるので、ここしばらく指が痛い。
棒を針に持ち替えている。けれどショールを編みあげたい。
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近所の紫木蓮と桜が綺麗で、特に木蓮は花が残って葉が少しばかり出る一瞬が一番良い。
白と薄紫と明るい黄緑と。和菓子みたいな明るい着物みたいな色してる。
散るさまはほんとうに身を捩るようだけれど。
20221110 夜更けの夢
明るく広々とした森にいる。樹々の輪郭は淡く、遥か空を突き刺すように聳え立ち、上の方の枝葉はもはや霞んで見えない。
炎の色や金糸雀色や唐紅に金色。きらきらと落葉が一定の速度でゆっくりと落ち続ける。足元には薄く透けて硝子のような落葉が降り積もる。
歩くと足元でさりさりと儚げな音がする。頭上では貝殻のウインドチャイムのような葉擦れの音が波のように寄せては返ししている。
ここは落葉の国なのだ。
美しい落葉の絨毯の上を影のように歩く。
遥か前方に、氷の奥に潜む透明な青が遠く遠く見える。きっといずれ雪の中にいるのだろう。
月と無花果 四
以前娘に言われたことがある。
「死ぬ時に一人ってのは寂しいのかもしれないけれど、その寂しさを回避するためだけに何十年も我慢したくないんだよね」
辛辣な言葉ではあったけれど、当時離婚したての娘に反論する言葉は浮かぶ訳もなく、まあそうねえ、とお茶を濁すにとどまった。何十年も我慢をしてきたわけではなくて、その都度その都度、耐え難いことはあったけれど、それを上回る物事も同じように与えてもらったとは思うのだ。無論与えてきたであろうとも。その辺りのことは、結婚生活十年程度で終了した娘にはわからないことだろうし、わかってもらう必要もないだろうと温子は思っている。何十年も同じようで違う日々を繰り返し繰り返し共に過ごし、喜びや好奇心が妥協や諦観に変わったとしても、温子はその単調こそが自身の幸福だと思っているし、娘はまた違う人間なのだから、理解できないとしてもそれはそれで仕方がない。子を自身の一部と感じる母親は多いだろう。それは愛ゆえであると理解はするが、親と子の大前提は「私とあなたは別の人間である」に尽きる。そこを間違えると怖い。そしてそこを間違えたという自覚が、今はある。間違えないように、転ばないように、と目を光らせ、手を差し伸べ、しかしそれは結局は自分のためであったと、いつしか気がついた。私は私の後悔を娘の人生に反映させていたのではないか。自分の歩みたかった地図を娘に無理やりに渡そうとしていたのではなかったか。
娘は静かに気がついていたのだと思う。ある時ふとした会話の中で、「でもそれは母さんのやりたかったことだよね」と言われた。あれは高校三年生の頃、進路の話の中でだったか。娘は子どもの頃から絵が好きで、デッサンがうまく、配色センスもこれはなかなか、と親の欲目で思っていた。あなたは美術系がいいんじゃない、という軽い言葉への返答だ。
それは母さんのやりたかったこと。
思いの外、持ち重りのする返答だった。娘は軽く返したのかもしれないが。
ただ楽しく暮らしていてくれればそれでいいし、娘は娘で好きにやってくれたらいい、なんて、自分は程よい距離感を保った母親だと、バランスのとれた気楽な母親だと思っていたのが、そうではなかったのだと気がついた。いつからだったんだろう。自分が諦めたことは実現してもらいたい、自分がうまくやってきたことは同じようにクリアして欲しい、自分がした失敗はしないでほしい。私はこうすれば良かったと後悔しているから、あなたは絶対こうしちゃだめよ、あるいは、これをした方が絶対いいのよ、なんて。子どもを使って二度目の人生を送るわけではないのに。
今では、温子はチョークで境界線を描くように、修子と自分の人生をきっかり分けて見られるように慎重に生きている。
202209281632 23℃ 曇り
さて、秋だ。
暑い、だるい、もう嫌だ、と言いながらも「終わった」となると少しばかり寂しいのは私がいい加減な人間だからだ。
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持病と季節性アレルギー、そしておそらくはプレ更年期というもののためにここ数週間、
「私は元気だ!」
という日が全くない。それでも働かなければならないし、毎日の食事は作らねばならないし、日々の汚れ物は片付けなければならない。
当たり前のことは時としてつらいものだ。
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冬号十句は無事投句完了。締め切りはぎりぎり。
鎮痛剤飲んで鮮やか百日紅
髪洗ふ未だ女のかたちして
バスクリン色にたなびく螢の火
河童忌の蜘蛛を殺してから眠る
寝返りの形にゆらぐ熱帯夜
キツチンに私と梨とふたりきり
影淡くなつて蜻蛉はすいすいと
ドーナツの穴寂しさう秋うらら
寝入るまで即かず離れず鉦叩
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涼しくなってきて、編み物が進む。
嬉しい。
202207022116 28℃ 曇り
ディプティックのサン・ジェルマン。数年置いてから馴染む香りってある。
ここのはトワレとパルファムが光と影のようで収集欲をそそられて困る。
香りはいくつあってもそれぞれ物語があるので、本同様に尽きない。
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河原枇杷男はどうやら亡くなって数年経つらしいと言うTweetを見つけてしまい、悲しい。
枇杷男忌や色もて余しゐる桃も
死にごろとも白桃旨き頃とも思ふ
この二句のように、桃生る頃の事だったんだろうか。それともまだ白桃旨きころを死にごろと生きていらっしゃるんだろうか。
句集は全く手に入らない。
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夏が始まり、憂鬱だ。
平熱と同じ空気の中で私は全く無力であることよ。
子どもですらうんざりの表情。
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秋号投句:サイダー
晩年の夢見てゐたり山笑ふ
点滴のとつとつ落つる昼うらら
辛夷咲く雪よりも色やはらかに
突風や蜜蜂蕊にしがみつき
魂は何処へ躑躅は散り散りに
母として生まれたわけでなし立夏
落ちてゆくサイダー喉を焼きながら
四十代の腕にうなじに青嵐
枇杷を剝く男の指のごつごつと
ひとしづく艶やか吾子の洗ひ髪
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日々眠い。仕事していても本を読んでいても。