風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

月と無花果 四

以前娘に言われたことがある。

「死ぬ時に一人ってのは寂しいのかもしれないけれど、その寂しさを回避するためだけに何十年も我慢したくないんだよね」

辛辣な言葉ではあったけれど、当時離婚したての娘に反論する言葉は浮かぶ訳もなく、まあそうねえ、とお茶を濁すにとどまった。何十年も我慢をしてきたわけではなくて、その都度その都度、耐え難いことはあったけれど、それを上回る物事も同じように与えてもらったとは思うのだ。無論与えてきたであろうとも。その辺りのことは、結婚生活十年程度で終了した娘にはわからないことだろうし、わかってもらう必要もないだろうと温子は思っている。何十年も同じようで違う日々を繰り返し繰り返し共に過ごし、喜びや好奇心が妥協や諦観に変わったとしても、温子はその単調こそが自身の幸福だと思っているし、娘はまた違う人間なのだから、理解できないとしてもそれはそれで仕方がない。子を自身の一部と感じる母親は多いだろう。それは愛ゆえであると理解はするが、親と子の大前提は「私とあなたは別の人間である」に尽きる。そこを間違えると怖い。そしてそこを間違えたという自覚が、今はある。間違えないように、転ばないように、と目を光らせ、手を差し伸べ、しかしそれは結局は自分のためであったと、いつしか気がついた。私は私の後悔を娘の人生に反映させていたのではないか。自分の歩みたかった地図を娘に無理やりに渡そうとしていたのではなかったか。

娘は静かに気がついていたのだと思う。ある時ふとした会話の中で、「でもそれは母さんのやりたかったことだよね」と言われた。あれは高校三年生の頃、進路の話の中でだったか。娘は子どもの頃から絵が好きで、デッサンがうまく、配色センスもこれはなかなか、と親の欲目で思っていた。あなたは美術系がいいんじゃない、という軽い言葉への返答だ。

それは母さんのやりたかったこと。

思いの外、持ち重りのする返答だった。娘は軽く返したのかもしれないが。

ただ楽しく暮らしていてくれればそれでいいし、娘は娘で好きにやってくれたらいい、なんて、自分は程よい距離感を保った母親だと、バランスのとれた気楽な母親だと思っていたのが、そうではなかったのだと気がついた。いつからだったんだろう。自分が諦めたことは実現してもらいたい、自分がうまくやってきたことは同じようにクリアして欲しい、自分がした失敗はしないでほしい。私はこうすれば良かったと後悔しているから、あなたは絶対こうしちゃだめよ、あるいは、これをした方が絶対いいのよ、なんて。子どもを使って二度目の人生を送るわけではないのに。

今では、温子はチョークで境界線を描くように、修子と自分の人生をきっかり分けて見られるように慎重に生きている。