風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

Scheherazade(お伽草紙)

月と無花果 四

以前娘に言われたことがある。 「死ぬ時に一人ってのは寂しいのかもしれないけれど、その寂しさを回避するためだけに何十年も我慢したくないんだよね」 辛辣な言葉ではあったけれど、当時離婚したての娘に反論する言葉は浮かぶ訳もなく、まあそうねえ、とお…

月と無花果 参

隣の庭の山茶花が綺麗に色づいている。年間通して芝はいつでも綺麗に刈りそろえられ、花壇は春夏秋冬季節の花が絶えないように植えられている。丁寧に作られた箱庭みたいなきちんとした庭だ。温子は二階のベランダで洗濯物を干しながらお隣の庭を眺めるのが…

月と無花果 弍

最寄りの駅から徒歩7分。築年数が修子とそう変わりない緑山レジデンスは全ての部屋に嵌められている型板硝子の明かり取りと玄関のヴィンテージめいたカットガラスのランプシェードが気に入って即決した。元夫と暮らしていたのはもう七年も前になるので、人気…

月と無花果 弌

消し炭色の薄い雲の裏には貝釦のような薄い月が控えている。あのジョーゼットのような極薄い雲を風がそうっと動かせば、皓々と光る満月が出てくる。修子はいつも見惚れてしまう。ビルから吐き出された人たちは、川の流れのように淀みなく修子の傍をすいすい…

銀杏と金木犀 弐

金木犀から銀杏へ 銀杏さん、先日お話いたしました朝顔の女、あの解語之花が私の姿をみとめたようです。この頃など咲きこぼれるような笑みを浮かべて、煮干しなど小皿にのせて手招きしたりもするのです。あの美しい女人は猫が好きと見えます。しかしここでそ…

銀杏と金木犀 弌

金木犀から銀杏へ 蜻蛉の羽みたいな、薄青い朝です。 まだまだ空のてっぺんには溶け残った砂糖みたいに夜が残っていて、切り損ねた大根みたいなお月様がからだの向こう側を透かせて浮いています。そろそろ玉子の黄身みたいなお日さんが山のふちからあらわれ…

桐に鳳凰

日差しは柔らかな鶏卵の色になり、風が軽くなって、桐の花が咲いた。 子どもの頃、花札の桐は「霧」だと思っていた。どうしてこの絵柄で霧という名前なんだろうと思っていたのだった。庭のない家で育ったから、資子は樹木の名前に疎い。流れる霧は知っていて…

蟹と人魚

静かの海と呼ばれる湖の底には二匹の蟹が住んでおりました。二匹は射しこむ月の光をはさみで切っては丸めてそれを紡ぎ、きらきら美しい金色の糸玉を作っておりました。糸玉は人魚に売るのです。人魚はお金なんてもってはいませんが、難破した船から陸のもの…

小景

-浜辺- 白硝子で出来た浜の薔薇。ひとつひとつ踏みながら歩くと、日傘が一つ開いた。 白麻で出来た素っ気ない日傘は、水母のように蜃気楼の中を泳いでいる。右に左に、波打ち際を彷徨っている。 日傘の下の顔は、先年死んだHであった。 さくさくと鳴く砂の上…

小景

-プールサイド- 夏の午後三時。仰向けにプールに浮かぶと太陽が肌を刺す。 輝く花粉のような日の光をふんだんに浴びながら、プールサイドに腰下したキュクロプスが真珠のような少女を見下ろしている。 逆光は一つ眼に青い翳を落し、愁いを含んだその青は深い…

夜の庭

西瓜てのはね、割るものなのよ。 幼稚で、いやね。 夏の夜、縁側に腰掛けて足をぶらぶらさせながら西瓜を食べて。手のひらはべたべたでそれは顎のあたりまで辿り。下駄の鼻緒に蟻がいる。振り払おうと足を振ったら下駄が脱げた。庭の枇杷の木を見上げると、…

子供の領分

雨が降ると土の匂いは甘くて苦いです。春は雨が降るとその匂いが喉の奥まですんすんと入り込む。夏は瞼の裏まで満ちるよう。秋は唇の辺りで漂います。冬は背中のあたりでひたひたと。 馬鹿な子どもが多いから、私は春が大嫌い。 新しい教室の後ろで、窓際の…

小景

ファンニュのくれた生姜の砂糖漬けは喉の奥がきかきかするほど辛くって、こんな不味いものが好きだなんていつだか聞いた「スウェディッシュは食に頓着しない」というのは本当だったのだ、なんて思ったのだった。偏見だわね、と老女は笑うだろうが。 「こうい…

月、星、祈り

背中に草のちくちくを感じながら寝転がっていると、ほんとうに自分というのは一人なんだなあ、と僕は感じていたのだった。 「冴えない顔してどうしたよ」 星くんが顔を覗き込む。きれいな白い顔だなあ。そりゃ人間もダイヤモンドだのなんだのと崇めるよね。 …

星、月、夜

コイビトと喧嘩をしてしまった星くんはまるで萎れたキャベツのようで。 僕は白い折り紙を折って、カモメを作った。 「星くん、ほら、君の好きなカモメ」 僕の両手から飛び立ったカモメは羽を広げて紺色の空をゆらりゆらりと、紙飛行機の速度で飛ぶ。星くんは…

世界の端っこで僕たちは脇役 två

扉の向こうは冬の匂い。それでも淡く抗うようにどこからか金木犀が香る。まだ咲いてるのね。かわいそう。 パーカーのフードを深くかぶって猫背で歩く杉生くんは外国の子どもみたいでかわいい。アスファルトに黄色い葉が落ちていた。パイナップルみたいな形。…

世界の端っこで僕たちは脇役 ett

「パイナップルの樹を探してるんだよね」 と、緑色した猫は一声鳴いて消えた。 9:20、目が覚める。果たしてパイナップルというのは樹に生るものであったっけ。寝惚けた頭で考える。どうでもいい。歯を磨く。 僕の住む古いマンション(築46年)の洗面台は僕…

十二月朔日 kingyoku kohaku

「ママ」 「なあに?」 「ママ、だって」 「そりゃそうだよ、ママだもの」 「ねこちゃん、だっこする?」 「抱っこは無理だからいいこいいこしてあげなよ」 皓ちゃんはそろそろと私の近くまで寄ってきて、そろそろと小さな手を伸ばして猫の背中に触れた。 子…

十二月朔日 neko kodomo

師走の空は途端に冬の横顔をみせるのだ。葉を落とした木の枝が葉脈のように空に伸びる。干乾びた檻のようだ。 白く冷たい雲がその中でもがくように流れていく。 食欲がない。猫には缶詰を半分と、牛乳を用意する。自分の為には何もする気が起きず、縁側に座…

カザリちゃん「素敵な日曜日」

マンションの9階のベランダから見下ろす風景はミニチュアのようで美しい、とカザリちゃんは思う。 箱庭。ゴジラくらい巨大化して全部踏み潰してみたい。 キャラメルの箱くらいのビルをエナメルのパンプスで踏み砕いたら、貝殻みたいな音がするかしら。 いや…

カザリちゃん「潮騒」

電車に乗って1時間。海の匂いがする道を歩いて20分。 その建物が見えてくると、カザリちゃんはいつも 「お豆腐みたい」 だと、思うのだった。白く、鋭角な形の、あれは絹ごし豆腐の形。木綿じゃなくて。 建物の名前は「しおさい荘」という。まるで民宿のよう…

カザリちゃん「津黄子さん」

どうしてこんなに愛しいのか。 津黄子さんはカザリちゃんと初めて出会ったときからずっと考えている。 あの子はまるで羽二重餅のようだったっけ。 カザリちゃんが生まれた月には、津黄子さんは日本にいなかったから、二人が初めて顔をあわせたのはカザリちゃ…

カザリちゃん「理科室とすもも」

カザリちゃんは理科室が好きだ。 班毎にわかれるあの黒くてつるりと硬い大きなテーブル。かたかたとすわり心地の悪い、背もたれのない小さな木の椅子。テーブルにいちいち水道がついてるのも素敵。ビーカーや試験管。上皿天秤はひどく脆そうな動き方をする。…

カザリちゃん「俯瞰の王国」

水たまりをのぞきこむと、空と雲としゃがみこむ自分のひざこぞうが見えた。 このなかはまたちがうせかいなのかなあ、と、カザリちゃんは思う。 見上げた空は水たまりに映るそれよりも鮮烈に青い。 あのむこうもまたちがうせかいなのかなあ、と、カザリちゃん…

カザリちゃん「遠足」

きゃあきゃあひらひら、と、女の子の声はいつだってフリルのように可愛らしく煩わしい。 秋の空の下、流れる川はゼリイをくずくずにしたような乱れた光が散らばって、目に痛い。枯葉の匂いはすんすんと鼻の奥に気持ちよい。こんな日に遠足だなんて馬鹿げてる…

カザリちゃん「ドロップス」

放課後の方が朝よりもきれい。だと、カザリちゃんは思う。 下駄箱の隙間から、すこん、と校庭が見抜けるところとか。岩石園の苔が夕日を浴びて茶色くてらてらと光るところとか。 だれもいない、永遠に続くように真っ直ぐ伸びたタイル張りの廊下だとか。 カザ…

夜の広場にて

今宵、白樺のダーエが化石になる。 夜の広場に星が降ると、ダーエの身体は美しく結晶化し、象牙のように硬く滑らかなひとつのオブジェとなった。 シグナルのヨハンは赤と青と琥珀の涙を一粒ずつ光らせる。 「俺は生きたままに化石のようだ」 ダイヤモンドを…

視線

ワニのトラヴィスはおいしそうな子豚を見つけた。子豚の名前はティンキー。子豚のティンキーはチョコレートが大好き。ティンキーはショウウインドウにバレリーナの形したミルクチョコレートを見つけた。バレリーナの形したミルクチョコレートの彼女の名前は…

11/5、ねんこの時にしたおはなし

朔ちゃんとコグマさんはブロックでおふねを作りました。 「じょうずにできたねえ」「ほんものみたいだね」 朔ちゃんとコグマさんは大はしゃぎ。 すると、ぼわわわわん、おふねが本物のおふねになりました。 よいしょ、こらしょ、えんやこら 朔ちゃんとコグマ…

十一月朔日 kotatsuyagura

しょうしょう、と、雨の音で目が覚めた。カーテンを開けても部屋の中は薄暗い。 影絵のような鏡の中に映る私の素顔はお化けのよう。猫はまだ布団からでようとしない。ちらりと捲って丸まる背中に鼻をつけたら温かく、つんとするような獣の匂いがした。猫はぐ…