風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

銀杏と金木犀 弌

金木犀から銀杏へ

蜻蛉の羽みたいな、薄青い朝です。

まだまだ空のてっぺんには溶け残った砂糖みたいに夜が残っていて、切り損ねた大根みたいなお月様がからだの向こう側を透かせて浮いています。そろそろ玉子の黄身みたいなお日さんが山のふちからあらわれます。

滋ちゃんは昨夜とっぷりと夜更かしでしたので、もしかしたらば朝ごはん、遅れるかもしれません。

ダンスホールの女のとこに行っていたに違いありません。あんな狐の襟巻みたいな白痴女のせいで朝ごはんが遅れるなんて、怒髪衝天の思いではありますが、仕方ありませんね。

銀杏さんはその後傷の具合はいかがでしょう。もうお互い八歳と九歳。いい年なのだから、無理は控えなければなりませんよ。

今日は少しばかり林の方を歩いてみようと思います。町はあなた、もうダメですね。人ばっかりで。人間ていうものは、あれだけ自分と似たようなのが狭いところにうじゃうじゃといて気にもならないものなんでしょうか。

気にする程のsenseも持ち合わせてないんでしょうかね。いやはや。

金木犀

銀杏から金木犀

まったくよう、俺としたことが血気盛んな三歳牡と目合わせちまうなんてなあ。あれだな、風のせいだ。あんときどうっと風が吹いてよ、公孫樹がばあっと舞ったのよ。目の前が万華鏡みたいにぱらぱらと明るくなって、気が付いたら漬物石みたいなでっけえ虎猫の目ん玉覗いちまってたってわけだ。この年になって喧嘩なんぞふっかけたくもねえや。冗談じゃないぜ、まったく。

まあ昔取ったなんとやらで、幸い大した傷じゃあねえけどよ。どう攻めるかじゃあないんだな。どう受けるかだよ、喧嘩ってのは。

おめえんとこのうらなりはまだあのぱっぱらぱーに入れ込んでんのかよ。吃驚しちゃうね。いくら人間が万年発情期だからって相手選べよって言いたいね、俺は。玉蜀黍のひげみたいな頭してさあ。品のないべろべろしたドレス着て。ああ、やだやだ。女ってのはやっぱり朝顔みたいのがいいね。すうっとしててさ、そのくせはんなりしてて。色気がふっと見え隠れするみたいのがいいんだよ。今日びの女ときたらそういうの、一人もいないね。嘆かわしいね。まあさ、野良たちなんかは腰のどっしり張った年増のがいい、なんていうやつ多いけどね。

そういや昨日の夜は孫娘が来たから刺身が出たぜ。中落ちの。お孫さまさまだよ。

銀の字

金木犀から銀杏へ

先日お手紙拝見致しまして、私も朝顔の如し女のことを考えていました。確かにそのような楚々とした女性は今の世にはいないかもしれないなあ、と憂えておりました。まあ猫が人間の世を憂えても詮無いことではありますが。しかしまあ私もうらなりとはいえ自分の主人を愛しておりますから、愛する主人の今後を思うともやもやとしてしまいます。町にはあんなに人間がいるというのに、うちの滋ちゃんはどうしてあんな玉蜀黍のひげしかつかめなかったんでしょう。おとついはルビイとかいう赤い玉のくっついた指輪を買ってやったそうです。それを買うために店のお金を無断拝借したようでして、お父さんがひどく怒っておいででした(無断拝借も一度や二度ではないのです)。そんなすったもんだが今朝早くに(また朝帰りだったものですから)ありまして、まぁた私の朝ごはんは遅れたというわけでした。おなかが空くと心も一緒にがらんどうになるようで、お母さんがいるころはまだ良かったのになあと、しみじみいたしました。山のふちに入日の、熾火みたいに残るのを見るとふと涙がこぼれたりもします。

どうも辛気臭くなってしまいましたね。お話ししたいのはそんなことではなかったのですが。

前述の朝顔です。実は私、みつけたのです。たおやかで楚々とした朝顔の如き女を。いやはや、この世にまだこんな女がいたのかと、吃驚(きっきょう)仰天致しました。花顔雪膚、花顔柳腰というのはああいう風情を言うのではないでしょうか。年の頃は三十出たところといったところでしょうか。とうはたっておりますが、縞銘仙に黒繻子の帯締めた姿はまさしく解語之花でありました。

どうやら四丁目の、以前バタ臭い顔つきの眼医者が住んでたあの洋風平屋に越してきたようです。あすこなら滋ちゃんの勤め先も近場だし、なんとかあの夢二風美人と知り合えぬものでしょうか。

人間であれば自身が月下氷人となりたいところであります。

金木犀

銀杏から金木犀

とっぷり日も暮れてから川沿いあたりなんか歩くとりいりいりいりい秋の虫が、草に鈴でもつけてんじゃねえかってくらいに騒いでいるぜ。

家に帰る頃には路地に風呂の匂いと魚焼く匂いなんかが混じっててさ、たんまり幸せな気分になるな。俺は秋が大好きだ。

最近はなんだかあっという間に全部が終わる気がしてんだ、俺。猫の一生なんて、人間に比べりゃあっさりしたもんだよ。

朝顔の女か。俺もお目にかかってみてえもんだが、金の字よ、たかだか人間のことなんかで思いつめちゃいけないぜ。ほどほどのところで距離を保たないとな。あいつらの目に映っているものと俺らの目に映ってるものじゃあ卵とお月さんくらいの違いがあるんだよ。もともとが噛み合うわけないんだ。犬みたいに深入りしちゃあいけねえ。

銀の字