風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

銀杏と金木犀 弐

金木犀から銀杏へ

銀杏さん、先日お話いたしました朝顔の女、あの解語之花が私の姿をみとめたようです。この頃など咲きこぼれるような笑みを浮かべて、煮干しなど小皿にのせて手招きしたりもするのです。あの美しい女人は猫が好きと見えます。しかしここでそそくさと近寄って、いやしげな真似をするのもみっともない。どうでしょう、ひと月ほど様子を見ればお品がよく見えましょうか。少しずつ距離を縮めて、滋ちゃんの帰宅時間など見計らって玄関先でひと鳴き。耳慣れた私の声に滋ちゃんが足を止める。ふと門を覗けば朝顔のようにしんしんと美しい女と足元に私がいる。なんてお膳立てはいかがなものでしょうか。 その時には雪が降っているといいと思います。まるで北原白秋の歌のようではありませんか。 金木犀

金木犀から銀杏へ

返信なく心配しております。四丁目で猫汎白血球減少症がでたとの噂。まさか銀杏さんに於いてはそのような不穏な事態はないと思っておりますが。 私の方は明日で丁度ひと月ということもあり、そろそろ垣根を越えてみようと思っております。さあどのように事が運ぶやら。うまく運べば万々歳。しかしよしんば滋ちゃんと朝顔の女が縁を結べなくても、もういいような気もするのです。案外私はただ自分があのような、今の女にないような墨を流したような涼しげな眸を持つ、夜明けにひっそりと開く朝顔のような、そんな美しさを持つ人間に触れてみたかっただけかもしれません。猫の恋、というとまるで俳句の季語ですが(あれを季節をあらわす言葉として使うなんてやはり人間にはdelicacyというものがないように思えます)、老境にある猫の少しばかり狂った恋のような気がしないでもないのです。 それではお身体大切に。お返事お待ちしております。 金木犀

朝顔の女から旦那へ

ここへ越してから三月になりますけれど、いったいいつになったらこちらへ顔出してくれるのかしら。 住むところとお金を用意すればそれで十分とでもお思いなのかしら。いやまさか、ですわよね。旦那はあたしのこと好いてくれてるからここに猫でも飼うように囲ってくだすったのよね。あんまりお見限りでしたら、本郷のお宅まで足を運んでもいいんですのよ。旦那には大変お世話になっております、チンチラみたいに大事に飼われておりますの、って、奥様とお嬢様にご挨拶でも致しますわ。これでも義理は欠いちゃいけないよってきちんと育てられてんのよ。子飼いの芸者上がりだからってお安くみなさんな。 あら、ごめんなさいね。あんまり旦那がご無沙汰だもんでちいとばかし頭に血がのぼってるんですよ。こないだもね、猫一匹、殺してやりました。あたし、猫みたいに旦那に飼われているけど生きた猫は嫌いなのよ。庭で粗相でもされたらかなわない。だいたい人馬鹿にしたような顔してさ。なんでもお見通しみたいな目ぇしちゃって。四つ足のくせして生意気ったらありゃしない。 ここふた月ほどうちのまえでうろうろしている白猫がいたから、こっちは毎日猫いらず混ぜた煮干しやらおからやら用意してたんですよ。ね、おかしいでしょ。猫いらずで猫が死ぬなんて。でもいっつも、ちろん、て馬鹿にしたみたいな目で眺めるだけでなかなか寄ってきませんの。お妾だからって猫まで人を馬鹿にする。それがあなた、一昨日急に気が変わったみたいにしとしと寄ってきて、ぱくりと食べたらころり、よ。猫なんて馬鹿よね。 こうやって待つばかりのあたしも馬鹿かもしれないけれど。でもあたしだってもうこんなままなんだったら猫いらず飲んで死んだって構わないのよ。こっちだって女の意地ってもんがあるんだ。その時には旦那ご自慢の本郷のご邸宅前でやってやりますからね。 菊志乃

銀杏から金木犀

よお、ご無沙汰だったな。うらなり息子と朝顔の首尾はどうだい?うまくいったか? だがよ、いくら解語之花だの朝顔だのいったって、知らねえ人間にのこのこ近づくのもどうかとおもうぜ。まあお前さんは俺なんかよりずっと賢い猫だから、心配ないとは思うがよ。 猫汎白血球減少症だなんて心配させたみたいで悪かったよ。いやさ、婆さんが先月倒れてよ。心臓がどうのこうのって言ってたけど、まあもう持ち直してぴんぴんしてんだ。それだもんで二十日ほど孫娘んとこ預けられてたんだ。二十日なんてほっといてもらってもこちとら暢気してるのによ。 婆あといると毎日毎日干物だ汁かけご飯だしけてやがる、なんて文句ばっかし言ってたけどよ、お前、孫娘んとこじゃ毎日缶詰よ。俺はやっぱしああいうふわふわしたのは苦手だね。熱いなちくしょう、なんて文句言いながら食べる汁かけご飯のが百倍いいね。骨立てながら食う魚のがいい。干物さまさまだよ。 持ち直したっていっても婆さんも歳だからな。一層しなびて帰ってきたぜ。それでもまあ無事で何よりだ。今回孫娘んとこで肩身狭くして二十日過ごしてしみじみ思ったぜ。俺は婆さんより先に逝きたいね。婆あに先に逝かれて孫娘に引き取られるなんざ、やだね。しなびた婆さんとしなびた座布団と干物と汁かけご飯と、そんなものの中でころりと死にたいね。 俺はこの頃引き込まれるみたいな感じがすんだ。縁側でこうやって日向で寝そべってころころしてるとよ、うすーく開いた瞼の隙間からぱあっと明るい光となんでか銀色のすすき野原が見える。こう、きらきら光ってさ。あれが極楽ってやつなのかね。俺、海辺で生まれたろ?ひと月もしないですぐ婆さんとこ貰われてったからぼんやりとしか覚えてないんだけどよ。あすこぁまるで海みたいなんだ。銀色に光るすすきがさわさわさわさわ揺れててさ。まるでたっぷりとした午後の海なんだな。ああいう風に鏡みたいに銀色に光る時間があるんだ、海ってやつは。 もしも婆あが先に逝くようなことがあったら俺は旅に出て、もいちど海を見てから死にたいね。そん時はうらなりも玉蜀黍の髭も朝顔もうっちゃっておいて、お前も一緒に来るがいいぜ。 銀の字