風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

カザリちゃん「津黄子さん」

どうしてこんなに愛しいのか。

 

津黄子さんはカザリちゃんと初めて出会ったときからずっと考えている。

 

あの子はまるで羽二重餅のようだったっけ。

 

カザリちゃんが生まれた月には、津黄子さんは日本にいなかったから、二人が初めて顔をあわせたのはカザリちゃんが生後二ヶ月と三日、過ぎた頃だった。出産祝いに鮮やかなミントブルーの毛糸で編んだおくるみを携えて、津黄子さんはカザリちゃんに会いに行った。

 

明るいリビングの真ん中に置かれた揺り椅子の上で赤ん坊は眠っている。きっちりクッションに収まるくらい小さい。

薄赤い羽二重餅の真ん中に、へらですうっと線を引いたような目蓋の線。たまにぎゅうっと顰め面をする。なにか、夢でも見てるんだろうか。津黄子さんは、ふと、思い出した。

 

「ねえ、いっちゃん。お米の地蔵みたいだね」

 

ええ?なあに?と、台所で珈琲を淹れながら衣千子さんが聞き返す。津黄子さんは赤ん坊を起こさないようにまた小さい声で

「だから、ほら、あのお米の地蔵さん」と囁く。

なによ、それ、とマグカップを両手に持ちながら衣千子さんは津黄子さんの隣にひざまずいた。

 

「いつか父さんが見せてくれたじゃない?なんの雑誌だったけなあ。いっちゃん、こんなことする人よっぽど暇なんだねって」

「ああ、あのお米に地蔵やら七福神やら描いてあるやつ」

「そうそう、あれにそっくり」

 

シツレイネエ、と衣千子さんが笑うと、ふにぃ、と絞るような声をかすかに上げて、赤ん坊が目を開けた。

津黄子さんと赤ん坊は、ぱっちりと目を合わせた。

すうっと綺麗に葉っぱの形に切り取ったような目の輪郭。まるで黒目だけのようなつやつやとした目玉。闇みたい。でもこの闇は深くてそのくせ温かい。睫のない目というのはなんだか不思議だ。まるで、

 

(まるで、宇宙人みたい)

 

津黄子さんは今度は心の中だけで思うのだった。またいっちゃんに「シツレイネエ」と言われてしまう。

薄い薄い眉。眉毛はここに生えてくるんですよ、という、ほんのおしるしだけのような。ほやほやと、地肌が透けて見えるほど少ない髪の毛。ラビオリみたいに小さい尖った耳。きちんと大人と同じ形をしていることに驚く。歯茎だけの口の中。べろなんてまるで花びらほど薄くちいさい。

そうして殆ど唐突に喉の奥から鳩尾あたりから、ゆるゆると熱く何かが迸るのだった。鼻の奥がつん、と苦しく、ああ私は泣きだす寸前なのだ、と津黄子さんは気がついた。

こんな変な顔してるのに、この子は全然まだ笑いかけもしないのに。どうして、どうしてこんなに全てを投げ出したいような、全てを抱きしめたいような、こんな気持ちになるんだろう。

 

「折角だから、津黄子のおくるみに包んで抱っこしてごらんよ」

衣千子さんは手早くおくるみを広げ、その中に包み込まれてラグビーボールのようになった赤ん坊を津黄子さんに差し出す。

津黄子さんはこわごわとそろりそろりと受け取って、まるで重みなんてないみたい、羽みたい、ああでもやっぱり少しばかり重たい、なんて思っている。深い朝の森のような鮮やかなミントブルーの中で、赤ん坊は目を瞑る。またお米の地蔵顔。

 

「いっちゃん、なんだかこの色似合わないみたい。とても綺麗なミントブルーなんだけどなあ。シリアの糸なんだよ」

鮮やかなミントブルーとしわしわとふやけたような赤ん坊の薄赤い肌の色はいまいち馴染まないのだった。

衣千子さんが笑って言う。

「津黄子、いいこと教えてあげようか。あのね、生まれたての赤ん坊って鮮やかな濃い色って似合わないのよ」

「どうしてよ」

「さあねえ、私も生まれてから知ったもの。なんかこう、淡い、パステルカラーみたいなのがいいのよね。生まれ出たばかりで、まだ世界にも馴染んでないんだもんねえ。この子自体まだ曖昧なのよ、きっと。色に負けちゃったね」

 

最後の一言は赤ん坊に向けて、笑う。

衣千子さんは津黄子さんから赤ん坊を受け取って、ゆらゆらと身体を揺らす。草木が風に揺れるような動きで、それはきっと意識的な動きではなくて、無意識に動いてしまっているように津黄子さんには見えた。

 

「ねえ、いま何も考えずに体動かしてる?」

「ええ?ああ、うん。何も考えずに揺れてた。あのねえ、こうやって日がな一日カザリを抱っこしてるとね、カザリを抱っこしないときでも揺れちゃうのよ、自然と」

「抱っこしてないときも?」

「そう。こないだなんかねえ、米袋持ち上げたときも、なんかこう、ゆらゆらしちゃった」

と、衣千子さんはとんとん赤ん坊のおしりのあたりを優しく叩きながら言う。

「えー、なにそれ」

津黄子さんは米袋を抱っこしながらゆらゆらとあやしている衣千子さんの姿を思い浮かべて思わず笑った。

 

「笑うけどねえ、ほんとよ。あんたも産んだらわかるわよ」

 

 

 

そうなのかしらねえ

 

と、あの日から十三年後の今、津黄子さんは自分のおなかに向けて囁く。まだ妊娠四ヶ月の津黄子さんのおなかはゆるい丸みを帯びているだけ。あなたが出てきたら、私も米袋を抱いてゆらゆら、身体を揺らすようになるのかな。

 

妊娠が判ったとき、津黄子さんは衣千子さんにこっそりと聞いた。

 

「ねえ、カザリみたいに愛せるかなあ。カザリくらい可愛いと思えるのかな。なんか私自信がない。このおなかの中にはまだ実感が伴わないんだもの」

 

衣千子さんは笑って一言、馬鹿ねえ、と言った。

優しく一言、

「ツギコちゃんは馬鹿ねえ」

と、カザリちゃんが呼ぶように言った。