カザリちゃん「ドロップス」
放課後の方が朝よりもきれい。だと、カザリちゃんは思う。
下駄箱の隙間から、すこん、と校庭が見抜けるところとか。岩石園の苔が夕日を浴びて茶色くてらてらと光るところとか。
だれもいない、永遠に続くように真っ直ぐ伸びたタイル張りの廊下だとか。
カザリちゃんはランドセルをかたかたと鳴らして美しいものたちに手をふる。バイバイ。また明日の放課後に。
夕方の町の方が、朝よりもきれい。だと、カザリちゃんは思った。
ぽちぽち、ともる街灯はサクマドロップスのハッカ味のやつみたい。
空はマーブル模様に染まって。図工の教科書で見たムンクの絵の空みたい。
空を見ると、自分が世界の主役じゃないって、わかるよ
カザリちゃんはスカートのポケットから飴を出して口に放り込んだ。
バナナ味なんて、変なアメ。アメってなんでアメっていうんだろ。どうして雨とおんなじ名前なんだろ。むかし、なきむしかみさまがー、って歌。鼻唄で歌う。すっぱいなみだ、ってとこだけキライ。なんかお酢みたいなんだもの。
家の近所にある空き地はもうカザリちゃんがずっと小さい頃から空き地になっていて、すすきがきらきらと銀色に光ってざわざわ揺れている。
隣のクラスの空善くんはカザリちゃん家の隣に住んでいる。いわゆる幼馴染。
「世界の主役じゃないってどうゆうことだよ」
「知らない」
「知らないってどうゆうことだよ」
「だって思ってるんじゃないんだもん。感じてるだけだもん」
カザリちゃんは感じるのだ。
空も天気予報も飛ぶ鳥も、花も転がる石も。誰も彼もがおしなべて自分の世界を持っている。私にとって手のひらにとまるこの蜂が取るに足りないもののように、この蜂にとっても私は取るに足りないもの。言葉にはできなくても感じるのだひしひしと。私は世界の主役じゃない。空善くんも誰も彼も。
主役ではないという事実を理不尽に思う人もいる、ということをカザリちゃんはまだ知らないのだけど。
蜂はカザリちゃんを刺さずに、びぃん、と飛んでいった。
玄関に入ると、晩ご飯の匂いはシチュウの色をしている。あ、これは茶色のシチュウだ、と思ってカザリちゃんは嬉しくなった。
「おかえり」
ママが台所から声をかける。もうすぐできるわよ、と言って冷蔵庫から牛乳を出す。
手を洗ってうがいをして、ソファに座ると目の前にホットミルクがことり、と置かれた。ママの世界では私はもしかしたら主役かもしれないな、とカザリちゃんは思う。
温かく甘いミルクを飲んで目を閉じる。両手でまぶたを覆うと鈍い黒に、おばあちゃんのバッグについてるようなくすんだビーズ色の光がちかちかと瞬く。
私が目を閉じているあいだ、世界はどうなってるんだろう。消えているだろうか。ママはママの形をしているかしら。私は私の形をしている?
「なにしてるの?」
晩の食卓の支度をしながらママが聞く。
「いまね、世界をなくしてるの」
シチュウの匂いも、食器の音も、カザリちゃんから遠ざかる。遠く遠く。深く深く。私の内側って、こんなにも永遠なんだ。
「シチュウが冷める前に、世界を元に戻してね」
と、ママは笑う。