風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

小景

ファンニュのくれた生姜の砂糖漬けは喉の奥がきかきかするほど辛くって、こんな不味いものが好きだなんていつだか聞いた「スウェディッシュは食に頓着しない」というのは本当だったのだ、なんて思ったのだった。偏見だわね、と老女は笑うだろうが。

「こういう舌の外側から喉から果ては鼻の粘膜まできんきんするような味のものを好むというのはどういう理由からなんだ」と晶は砂糖も牛乳もなしの紅茶を飲みながら(本当は珈琲が飲みたかったのだが)、お茶請けに出された件の生姜の砂糖漬けを一つつまんだ。生姜の砂糖漬けは一見、花梨のそれにも見える。透明の砂糖が半ば透け濁った生姜の黄色にしがみついて、ところどころ塊になり、あの塊が美味いのだ。砂糖漬けというのは。

子どもの頃よく花梨の砂糖漬けがおやつに出たんだよ。砂糖に香りが移ってさ。袋の底に残った砂糖をなめるのが好きだった、と長野出身の夫は語り、それを瑞子は洗濯物を「網に入れるもの」「網に入れないもの」に分けながら聞いている。それにしても、それにしてもどうしてこう男の人というのは毎日毎日、首筋と手首のまわりだけがこんなに汚れるんだろう。晶のYシャツの衿の内側と袖口は一日の終わりにきちんと薄い墨色と薄茶をぼかしたような汚れをつけてくる。

「食べにくかったら紅茶に入れるといい、って言ってたわよ」

だから紅茶にしたのだ、と瑞子は思い、そうしたら砂糖の塊が溶けてしまうと晶は思いながら、皿のふちに転がるビーズ大の砂糖の塊を幾つかつまんで口に入れた。やはり朝は珈琲が飲みたい。紅茶っていうのは自動販売機に売っている「午後の紅茶」ではないけれどやっぱり午後のイメージだ。と、思っている晶の半径2mに座っている瑞子だってやはりほぼ同時に朝は珈琲のがいいなやはり、なんて考えているのだけれど。

こうして土曜日の午前中に、フローリングに落ちている陽だまりに座って洗濯物を選り分けて(或いは畳んで)いるのは本当に気持ちが良いのだ。一般的な労働も、家事も、そこになにかしらの心地よさを見つけてしまえば苦ではない。それにしてもこうして陽だまりにいると空気中に漂う埃がよく見える。それはもうミクロのスノードームの雪といった感じで、きらきらきらきら日の光に反射して(それは美しくなくもないのだが結局塵なのだ)充満している。毎日掃除機で吸い取っても箒で掃いて塵取りで庭に放り投げても粘着テープのコロコロ(この道具に正式名称はあるんだろうか)で取り除いても、毎日毎日こうしてミクロの水晶の粒といった感じに充満するのだ。空気中に。日に透けている間はきらきらと何かの結晶然としているのに、床に落ちてくっつきあうと汚れた鼠色になる。森やジャングルに埃はない。ということは部屋の中を森にしてしまえば日々の埃との格闘から逃れられるかしら。いやいや埃はソファやカーテンや私たちの洋服といったものか出るのだろうから、

「全裸で暮らせば埃ってでないのかな」

晶は三切れほど残った生姜を持て余しながら、またなにを言い出すのだこの人は、といった曖昧な表情で自分の妻を見た。だって妻とはいえ(夫とはいえ)誰だって相手の頭の中までは見えないのだし。渋めの紅茶を飲み終えて、生姜と空の茶碗はそのままに、ソファに寝転がって眠るでもなく何かするでもなく、そういう時間が一番幸福だと晶は思うのではなく感じた。

瑞子は選り分けた洗濯ものを洗濯機に放り込んでスウィッチを入れたあと、昔実家で使っていた二層式の洗濯機のことを思い出していた。すすぎが終わってぶくぶくと水を含んで重たい洗濯物を脱水漕に移し替えるときの、あの腕がだるくなるような重たさと、夏の光をてらてらと反射する濡れた布地の色の濃さ。今はどうだかしらないが、瑞子が小学生だった頃、夏休みは布団干しと洗濯で始まるものだった。粉洗剤はうっかり大きく息をしてしまうと、鼻につんと痛みと良い香りが入り込んで、それは喉のあたりに広がって、洗剤の清潔な匂いは良い匂いではあるのだけれど喉のあたりに広がると粉っぽくどこか苦い。ぐるぐるとまわる洗濯物を見るのは愉しかったし、重たげに動く水の音は耳にそのまま快楽でもあったのだ。そうしてすすぎ終わりの重労働。ブロックの台に乗っかっても、洗濯機は子どもの瑞子の丁度鳩尾のあたりまで高さがあるものだから、あれは偉く骨の折れる仕事だったっけ。ジーンズだのは本当に、地引網のように重たくて。もちろん瑞子は地引網なんて引いたことないけれど。

小さな庭で遊んでいた子どもが「ままー、てがさー、こんなになっちゃったよ」と両手をこちらに見せながら叫んでいる。ママは今、洗面所だよ、とソファから答えながらこのくらいのまだ字を読めない子どもの言葉というのは全てひらがなのイメージで聞こえてくる、なんてことを晶は思った。よし、一緒に遊ぼうか。

庭はこれから昼になるのだと決意しているかのような豊潤な日の光に満ちていて、数十分後には湿った洗濯物たちの清潔な炭酸水のような匂いに満たされる予定。