風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

十一月朔日 kotatsuyagura

しょうしょう、と、雨の音で目が覚めた。カーテンを開けても部屋の中は薄暗い。

影絵のような鏡の中に映る私の素顔はお化けのよう。猫はまだ布団からでようとしない。ちらりと捲って丸まる背中に鼻をつけたら温かく、つんとするような獣の匂いがした。猫はぐるるると身体の中を鳴らしてもう一度かたく丸まった。その渦を巻くような黒と灰色は、アンモナイトを思い出す。

階段を降りる時に足の裏やふくらはぎ、肩の筋肉の痛みと強張りに気づいた。昨日は強剪定の手伝いだったので、身体のだるさがいつもよりもしつこいような気がする。それともそんな年なのだろうか。

 

板敷きの台所の床はきりきりと冷たい。本格的に冬が来ればまるで氷のようになる。昨日脱ぎっぱなしにしてしまった靴下をもう一度履く。冷えた指先はなかなか温まらない。右足の親指で左足をさする。

昨日の夜の鰤大根を鍋のまま温めて、糠床に入れといた人参と大根のきれっぱしと卵かけご飯で朝ご飯。卵かけご飯は子どもの頃、箸で食べるととろとろぽろぽろ落ちて食べにくいのが嫌で、スプーンをくれと言っても母は絶対にくれなかった。今は独りなのだから、誰彼憚らずにスプーンで食べればいいようなものを、箸でやはり食べにくそうに食べている私がいる。卵かけご飯のあのとろとろの黄色に、銀色のスプーンを差し込むのは気が引ける。これは一種の洗脳ではないのか、母よ、と思う。

 

いつの間にか猫が降りてきていて足元にすりより、にに、と鳴く。おかかご飯に牛乳をあげて、おやつ用のかりかりを別の皿に入れる。

 

先月、手紙を出した。久々に友達と会って、気も高ぶっていたのかと後悔している。返事はまだ来ない。特に内容のあることを書いたわけでもなくて、日々過ごしているさまをほんの少しと、思い出をいくつか、それだけだ。夢の中の手紙より、言葉数は少ない。淡々と散らばった言葉たちはあの人と私の間に横たわる糸を手繰り寄せるだろうか。

 

居間の押入れから炬燵を出す。一昨日炬燵布団を干しておいて正解だった。昨夜から雨も降り、底冷えがするのだ。かちん、かちん、と足を伸ばして立たせると、むき出しの炬燵は祭の櫓のように見える。炬燵櫓と呼ぶのもさもありなんだ。南天よ炬燵櫓よ淋しさよ、なんて句も頭を過ぎる。

二階から下ろした炬燵布団は明るい藍色に銀鼠の鏡紋が散っている柄で、朱赤の別珍で幅広にパイピングしてある。母親が昔、古手屋で見つけたものだ。正絹か人絹か、見る目も知識もないのでわからないけれど手触りはとろりと冷たく、気持ちが良い。

天板を乗せて、上に蜜柑を山盛りにした果物籠を置けば、冬の情景の完成だけれど、今は生憎唐島さんから頂いた柿しかない。大ぶりの柿を五つ。これはこれで秋らしい。

 

るるるる、と電話がかかってきたので出たらば母だった。

年末は帰るのか帰らないのか、この間送った米はまだあるのかどうか、風邪を引いていないか自分は引いてしまった、だの。受話口からは少し掠れて低い、それは気がつけば驚くほど私に似ている、母の声が壊れた蛇口から落ちる水のように流れ続ける。

ふんふん、と柿を弄びながら聞き流す。柿というのはどうして四角いのかしら。味はぼんやりと甘くて。無花果もぼんやりと甘い。捉えどころのない甘みが苦手なのにどうしてか季節ごとに食べないと気がすまないものたち。

音楽を聴くようにぼんやりとしていたら母の口から「日暮さん」と突然あの人の名前が飛び出したので、びくりとした。

「日暮さんとこの年忌法要だけど、あんた出られん?将ちゃんも乃莉ちゃんも会いたがっちょうけど」

以前聞かれたのは十七回忌の時だった。あれから六年たっている。

晦日前に休みは取れんわ」

六年前と同じ答えを返す。

ひんやりと冷たかった柿は手のひらの上でゆるく温まっている。

 

ごろごろごろ、と、雷の音かと思ったらそれは宅配業者の引く荷台の音らしかった。唐島さんちの玄関でおとないの声がする。庭はけぶるような雨で、モネの絵のようだ。炬燵の中にはいつのまにかきちんと猫が丸まって眠っていて、いつの間に入ったのだろう。柱時計は正午を過ぎている。

おなかは空いていない。傘を差すのは億劫だけれど本を返すついでにどこかで珈琲でも飲もうと炬燵を出た。

 

ビニール傘に、雨はぱちぱちぱちと控えめな音であたる。ともすれば、聴こえない。これがもう少し大粒ならば太鼓の撥で弾くような音なのに、つまらない。

雨の良い匂いは柔らかく涼しく私を包んで、目を閉じたいような気持ちになる。いつもの埃っぽい通りは透明な灰色に沈んで、いつもよりも優しく緩やかに見える。硬そうな柿の葉。あれはまるで昆布の色。

 

「同じ日本海でも色が違うなあ」

と、雨の降る海を眺めながら春樹さんは言った。

「香那がよく言っていたよ。まるでギリシャの青よ、って。同じ日本海でもこっちの海はまるで北斎みたいなのにね、って」

 

一度見てみたかったんだ、とあの人は言った。

私はあの人の思い出のためにその海を見せたわけではなかった。

 

図書館で本を返す。エントランスにある美しい螺旋を描く階段が永遠に続くかのように見えて眩暈がする。

雨は定規で線を引くような、美しい速度で落ちる。私の傘は水滴を受け止めては滑り落とし、受け止めては滑り落とし。馴染むことをしらないこの透明の肌。傘の外に手を伸ばすと、手の甲に雨の滴が滲んではぼやける。ビニール傘越しの空はゆがゆがと溶けかけのゼラチンのようだ。

 

そう、私はあの人の思い出のためにその海を見せたのではなかった。

子どもだった私はただ浮き足立っていて、美しいものをあの人にただ見せたかっただけで。その美しいものが彼女に繋がっていると知っていたならばきっと、私はあの人をあの場所へは連れて行かなかっただろう。

黙り込む私にあの人は呟く。

 

「いつだって、ほんとうに大切に思っているよ。ほんとうの娘のように」

 

家に帰ると雨だというのに猫の姿がなかった。

炬燵の布団をめくってみても、そこはしん、と薄暗く冷え切っているだけだった。

薬缶に水を足していて、そういえば珈琲を飲み忘れた、と気づく。

 

しゅうしゅうと薬缶が鳴る。縁側の戸を開けたら落ち葉の匂いがした。雨は止んでいる。珈琲を落とす香りは雨上がりの冷たい土の匂いと相俟って、郷愁呼び起こすような感傷的な香りになる。

戸を開け放したまま炬燵に入ると、外に出た肩や顔や指先がひゅうひゅうと涼しい。木も草も、塀も屋根瓦も濡れて洗われて、清々とした匂いだ。分厚い雲の隙間から卵色の空の明かりが覗く。卵色の上辺には水色が一筋。

図書館の匂いが残る本を開く。

 

いつの間にかうたた寝ていて、三十六頁にぽつりと黒く水の跡が滲んでいるのだった。目尻のあたりに残るのはぱりぱりとひっぱるような感覚で、泣いていたのだろうか、と訝る。

私の身体は私の物なのに、ひどく私から離れたところにあるようだ。

猫が炬燵から顔出して、にぃ、と鳴く。いつの間に帰ってきたのだろう。

 

近所のスーパーで安くなっていたノルウェー産の子持ちししゃもと、里芋の煮ころがしで夕飯にする。煮ころがしには刻んでたまり醤油に漬けておいた生姜を一匙。

猫はししゃもに目もくれなかった。贅沢な舌め、と、鯖煮缶ご飯にドライフードを少し、皿によそう。

 

硬いししゃもに七味マヨネーズをつけて噛んでいると、まるで突然降るように、私はひとりだ、としみじみと思った。

ほんとうに、まるで、降るように、だった。

 

十一月朔日が終わる。