夜の階段
夜の階段をおりていくと、夢が落ちていたので、ぼくはそのなかからひとつの夢を手にとって、また階段をのぼって部屋にもどってきました。
すると部屋の真ん中にはひとりのこぐまが座っていたのでした。
「こんばんは」
こぐまの目はまるでザリガニの目みたいに濡れて黒く光ってかわいらしい。
ぼくも「こんばんは」とあいさつをしました。
「きみ、よるのひろばで、ゆめ、ひろったでしょう?サファイヤみたいなあおいやつ」
こぐまの言うとおり、ぼくのひろった夢はきれいなブルーの色をしていたっけ。
部屋の中は夜の色がひたひたとまるで水のよう。
「となりにしんじゅいろのがあったでしょう?あっちにすればウサギがきたんだけど。きみ、ぼくみたいなこぐまでよかったかしら」
もじもじと丸い身体をちぢこませて、なんだか申し訳なさそうにぼくを見るこぐまはとても可愛らしいのでした。
ぼくは
「ぼく、ウサギよりクマが好きだよ。会えてうれしいよ」
と、右手をさしだしました。こぐまは少しふしぎそうにして、じろじろとぼくの右手をながめていましたが、しばらくすると首にかけたポシェットのなかから何かごそごそと取り出して、ぼくのさしだした手のひらにぽとん、とおきました。
いいにおいのするみどりいろのキャンディでした。
クマはあくしゅをしないのかしら。でもこのキャンディはとてもおいしそう。ぼくはキャンディを口の中にほうりこみました。
ぱちぱちぱちっ
と、ぼくの体から線香花火のような火花が飛びます。ぱちぱちっしゅうっ、と音がして、ぼくの体は窓の外へと飛び出しました。ふりかえると窓の中、もたもたとキャンディを一粒口の中にほうりこむこぐまのすがたが見えます。
ぼくのからだはふわふわと空に浮かんで、ちょうどとなりのマンションの4階くらい。4階のベランダでは、おじさんがひとり、たばこをすっています。
こぐまがぱちぱちと丸いりんかくをぴかぴかとみどりいろに光らせながら、ふわふわとぼくの方へと飛んできました。
「ねえ、ぼくたち飛んでるんだね!でもあのおじさんはどうしてぼくたちに気がつかないのかな」
おじさんは知らん顔でたばこを吸いおわって、がらがらと戸をあけて部屋にもどってしまいました。つまらない。
「だってぼくたち、ゆめのなかにいるんだもの。だれにもゆめのなかはのぞけないからね」
こぐまはそう言って、さあ、なにをしたい?これはきみのゆめだからすてきなゆめにしよう、と言いました。
「ぼく、じゃあお月さまのところまで行ってみたいな」
そう言うとこぐまはふんふんうなずいて、もぞもぞとポシェットの中からまたキャンディを取り出しました。
今度のは赤いキャンディです。
「これはね、彗星のキャンディだから、ぴゅーんてとぶよ」
こぐまは鼻をひくひく動かしながらじまんげに言いました。
今度は、せーの、でほうりこみます。
ぱちぱちぱちっしゅうっ
ぼくたちはぐるぐると輪を描きながら空の高い方へ高い方へと飛んで行きます。
ぐんぐんとぼくのおうちもおじさんのマンションも遠ざかります。ぼくたちはまるでロケットのように空を飛んでいます。
「まるで家がマッチばこみたいだ」
夜空はまるでこんいろのカーテンみたい。星は赤や青やきいろやみどり。まるで光るグミみたい。きんきん、ときれいな音もきこえます。
ぼくはなんだかゆかいになって、はいいろの雲にパンチをすると、なかからお月さまが顔を出しました。
「今夜はまるでほこりみたいな雲がくもの巣みたいにちらばっててやってらんねえぜ、なあ、ぼうや」
お月さまはまるで海ぞくみたいな顔をしている、とぼくはこっそりおもいました。
「子豚を連れてお散歩かい?」
からかうようにお月さまは言いました。
「こぶたじゃないやい。こぐまだい」
ぷりぷりとこぐまは怒って言いました。
お月さまはぴかぴかと顔を光らせて「ああ、なんだ。こぐまのポラリスか」と目をこすりました。
こぐまの名前はどうやらポラリスのようです。
「なるほどね。じゃあこれは星がつれてきた夢というわけだ。ぼうや、何が見たい?何を聞きたい?何をしたい?言ってごらん」
お月さまはぼくに笑いかけました。
「ぼく、月にすんでいるウサギを見てみたい」
そう言うと、お月さまは「お安いごようだ」と、ぎん色のマイクを取り出して、自分のおなかに向けて歌いだしました。
「うーさぎ ぎんいろすすきでぴょん ころころころがる もちつけぴょん」
するとお月さまのおなかの上をころころとまるでおもちみたいなウサギが100匹くらいもころがってきて、ぼくとこぐまのポラリスをふわふわとおみこしのようにかつぎだしました。
うーさぎ きんいろおいけでぴょん おふねでゆらゆら つきみてぴょん
ふわふわのウサギたちはすずのような声で歌いながら、わっしょいわっしょい、ぼくたちをどこかへ運んで行きます。
ぼくはお月さまにこんなたくさんのウサギがいることにびっくりです。いつかママが言っていたのはほんとうだったんだ!
ふわふわとウサギの上をころがりながら、ぼくたちはぎん色のすすき野原につきました。
ひときわ大きくて白いウサギがやってきて、
「本日はとおいところをようこそ」
とおじぎをしました。
「それでは月のウサギ産、あんころもちをどうぞ」
ミルク色の子ウサギたちがきれいなお重を運んできます。中には丸くておいしそうなあんころもちがぎっしりつまっています。あんまりおいしそうで、ぼくとポラリスはどきどきとしました。
「ぼく、月のウサギ産あんころもち、すごーくたべたかったんだ」
と、ポラリスはもうよだれをじゅるるとたらしています。
いただきます、とかぶりつくと、あんころもちはもうほっぺたが空の下の地面の下の地球の向こうがわまで落ちてしまいそうなくらいに甘くておいしいのでした。
ぼくは月のウサギ産月見茶といっしょにあんころもちを100個も食べました。ポラリスなんて260個も食べました。
ぼくたちのおなかはもうぱんぱんです。
「もうすぐ船がでますよ。月の海をごあんない!」
ぼくたちは船で月の海を一周しました。
月にはウサギだけではなくて、カニもロバもワニもライオンまでいました。ライオンにほえられてポラリスはしりもちをついて、ぼくはきれいな竹林の中にいるかぐや姫に手をふりました。
ウサギたちが舵をこぐ手をとめると、そこはあんころもちを食べたすすき野原でした。
月の海はどこまでもひろくてぎん色にすきとおってはてしなく、まるでぼくたちは何年も旅したような気分です。
「ぼうやたち、そろそろ夜がおわるぜ?おうちに帰りな」
お月さまがまばたきすると、ぼくたちはもうぼくの部屋のまんなかにぽつん、と立っていました。
部屋の中は夜の色がうすーくのびて、水のようだった空気もどこか、しん、とかわいてあたたかい。
ぼくはなんだかさびしくなりました。
「たのしかったね。ぼく、ポラリスといっしょの夢をひろってよかった」
「うん」
ポラリスは口のはしにあんこをつけたままにっこりとほほえみました。
「またぼく、夢をひろったらポラリスに会えるかしら」
「うん。ぼく、またよるのひろばでまってる」
ぼくは右手をさしだして、左手でうろうろとしているポラリスの右手をつかんで握手をしました。
「じゃあ、またね」
ぼくのことわすれないでね、と、ポラリスは鼻をくすん、と鳴らして窓にもぞもぞとよじ登り、もういちどふりかえってききました。
「きみのなまえ、おしえて」
「ぼくの名前は朔だよ」
ポラリスはうんうんうなずいて「ぼく、さくちゃん、だいすきだ」と言いました。
ポラリスはすうっと空に消えました。
ぼくの部屋はしーん、とさびしい音がします。夜の階段はもうみあたりません。
悲しくなって、ぼくは泣きました。ひーん、と高い声がでます。ぼくはこぐまのポラリスにもういちど会いたい。
とんとん、とノックの音がしてママが顔を出しました。
「どうしたの?こわい夢を見たの?」
と、ママはぼくの頭をよしよしとなでました。
「たのしい夢を見たんだよー」
と、泣くぼくを、ママはふしぎそうに抱きしめます。ママはとてもいいにおい。ぼくは少しだけ心がさびしくなくなりました。
「ぼく、こぐまのポラリスとお月さまにいったんだ。お月さまにはやっぱりウサギがいて、あんころもちもおいしくって、きれいな広い海があったよ。ぼく、ポラリスにもういちど会いたいよ」
ママはふんふんうなずいて、いいなあ、ママもお月さまんとこ行きたかったなあと笑って、
でもポラリスならほら、あそこにいるのよ、と空を指さしました。
もうすぐ朝がくる空に小さく、北極星がまたたいていました。
「さくちゃん」
と、ポラリスの声がきこえた気がします。
end