風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

月と無花果 参

隣の庭の山茶花が綺麗に色づいている。年間通して芝はいつでも綺麗に刈りそろえられ、花壇は春夏秋冬季節の花が絶えないように植えられている。丁寧に作られた箱庭みたいなきちんとした庭だ。温子は二階のベランダで洗濯物を干しながらお隣の庭を眺めるのが好きだ。植物は好きだが、育てるセンスはない。鉢のスグリも、小さなモミの木も、ミニバラもワンシーズンで枯らしてしまった。サボテンを枯らしたときに、ようやく自分には緑の指がないのだと諦めがついた。なんていうかママは茶色の指だよね、と娘には揶揄されたものだ。その娘も緑の指を持っているとは思えない。その点、母はきちんと花の手入れの出来る人だった。遺伝も隔世遺伝もしなかったのねえ、残念、と温子は横目でちらともう一度お隣の庭を見下ろして部屋に戻った。

ケトルを火にかけ、豆を挽く。中挽きで概ね7、8秒。沸騰するまであと10分くらい。壁の時計は9時50分になるところ。珈琲を淹れたらテレビをつけて録画しておいた海外ドラマを観よう。束の間、音なき音を聴く。水がお湯に変わる間の、裏の竹藪に風が渡るその数多の葉擦れの、遠くで鳴く尾長の、隣家の微かな人々の気配の、しかと認知されない音なき音たち。

珈琲を蒸らしていると夫がタイミングよく上がってきた。それならば、と温子は思う。まずは先週の大河を観てからだ。夫が一日休みの日は撮りためたドラマを一緒に観る。温子ひとりの日は海外ものからだが、夫が一緒の時は大概時代物からになる。ドラマだけではなく、二人の間にはさまざまな序列が存在する。食べたいもの見たいものやりたいこと。全て夫が筆頭に。しかしそれは温子にとって煩わしいものではなく、むしろ心地よい順当な流れになっている。身を任せていれば安心できる。そうして四十年近くそう思って暮らしてきたことにふと不安な気持ちになる。ついさっき、一人で音なき音を聞いているようなときに不意を突かれる。

自分は覚悟も自覚もなしにお婆さんになっているのだと気づいてどきりとする。なんたる不覚、と思いながらも、隣に座る安心すべき存在よりも先に死ねば問題ないなんて考えている。全く不埒な婆あだ、と、温子は自身に毒づく。