カザリちゃん「素敵な日曜日」
マンションの9階のベランダから見下ろす風景はミニチュアのようで美しい、とカザリちゃんは思う。
箱庭。ゴジラくらい巨大化して全部踏み潰してみたい。
キャラメルの箱くらいのビルをエナメルのパンプスで踏み砕いたら、貝殻みたいな音がするかしら。
いや、金平糖かな。
なんてことをぼんやり考えている。両手で包み込むように持っているマグカップからはほどけるような珈琲の香り。網戸越しに部屋の中からは曜平くんの歌声が聴こえて来る。少し掠れた高めの声がカザリちゃんのお気に入りだ。
幸せな日曜日というのはこういう日のこと、とカザリちゃんは思った。素敵。
ソファに半ば寝転がりながら曜平くんは昨夜作った歌を歌っていた。5歳の誕生日にもらったギタレレは曜平くんの掠れたハイトーンの声に良く似合う。ベランダに立つカザリちゃんの後姿を眺めながら、歌う。
初めて作詞作曲した歌(5歳の秋)「ぺろぺろきゃんでぃがわれた」から通算984曲目になる。今も歌えるのはその中の1曲だけ。その1曲というのが今歌っている「ゼロとメロン」。
曜平くんは何事にも執着することが好きではないのだ。
ベランダの手すりに持たれて町を眺めていたカザリちゃんは、今はパイプ椅子に座って煙草を吸っている。ふわふわと長い髪が煙の中で揺れた。綿菓子みたいな髪だ。曜平くんは思う。
昨日は何回したんだっけ。二回?いや三回。ああでも最後は途中で眠ってしまったんだった。下から見上げるとカザリの髪の毛は優しいカーテンみたいだ、と曜平くんは思う。あのカーテンの中は安心で安全。あの髪の毛で繭を作ってその中で何も見ず、何も聞かずに死んで行きたい、なんてことを曜平くんは思っている。そうしてそういうことを思う自分を少しばかり軽蔑する。ほんの、少し。
もう一曲できた。「カーテンの繭」
曜平くんはもう、さっき歌っていた「ゼロとメロン」のことは忘れてしまった。
あ、歌が変わった。
カザリちゃんがそう思ってから15分後、曜平くんが網戸越しに「アイスクリーム食べたい」と言うので二人で外に出た。
絵本みたいな空。黄色い蝶でも飛んできそうな。
パーカーのフードをかぶって猫背で歩く曜平くんはヨーロッパの子どもみたいでいいな、とカザリちゃんは思う。
すっぴんでベージュの長いワンピースにマフラーだけ巻いて歩くカザリは糸紡ぎ姫みたいでいいな、と曜平くんは思う。
「アイスクリーム、何味食べるでしょう」
「ピーチメルバ」
間髪いれずに答えた曜平くんに「ぶー」と唇尖らせて、カザリちゃんは言う。
「カザリはね、今日はミントチョコ食べるよ」
「えー、やだよ。ミントチョコは俺」
「しらなーい」
「二人でおんなじ味のアイスなんてつまらないじゃん」
しらなーい、と歌うように答えてカザリちゃんは耳をふさいだ。
ミントチョコなんて歯磨き粉みたいな味でやだって言ってたくせになんだよ、と曜平くんはミントガムを噛みながらメンソールの煙草を咥える。曜平くんはミント中毒だ。
「秋の匂いだね」
「さっき金木犀がいた」
「金木犀の歌作ってよ」
「今度ね」
見上げる欅の枝には赤い風船がぽつんと引っかかっている。
緑と白の縞々の庇に黒い壁のアイスクリーム屋でカザリちゃんは黒蜜きなこ抹茶アイスとキャラメルヌガー塩バニラとピーチメルバのトリプル(ミントチョコを頼むというのは曜平くんをからかっただけだった)、曜平くんはミントチョコとチョコレイトコーヒーのダブルを注文した。
噴水の見えるベンチに座って、アイスクリームを食べる。鳩が近づくと曜平くんはキックするふり。
カザリちゃんは鼻唄を歌う曜平くんの横顔を見る。なにかものを食べるとき、いつだって曜平くんはハミングをするのだった。初めて一緒にご飯を食べた時(それは屋台のラーメンだった)、曜平くんはずるずる鼻をすすりながらも終始Smells Like Teen Spiritをハミングしていたのだった。
あれはハミングにむいてない、とカザリちゃんは思うのだけれど。
それでもカザリちゃんは曜平くんのその変なくせをとても愛していて、食事の時に曜平くんのハミングが聞こえると幸せな気分になる。今日のハミングはFaki’n It。
昼下がりのS&Gはとても素敵。
「曜ちゃんて自分の作った歌は覚えてないのに他の人の歌は覚えていられるんだね」
「記憶はいいんだ。記録がいやなんだ」
たちまち溶け出すミントチョコに手こずりながら曜平くんは言う。ふうん、とカザリちゃんは頷く。よくわからないけど曜平くんらしい答えだとは思う。
「曜ちゃんの声はすかすかってしてて余計なものがなくっていいね」
「それって誉めてんの?」
「うん」
アイスクリームを食べ終えたカザリちゃんは甘い匂いを漂わせながら頷く。曜平くんはべたべたのミントチョコを漸く食べ終えて水道で手を洗った。
手を洗う曜平くんの丸まる背中を眺めながら、公園の水道って楽しい、と、カザリちゃんは思う。
だってほら、蛇口にブロンズの小鳥。