風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

八月朔日 hozumi 午前

にゃぁぉお、にゃぁぉお、と繰り返す猫の鳴き声は段々にその音量を上げ、ついには飛沫をあげる波音に変わった。

耳の奥でシャボン玉がぱちん、とはじけるような感覚がして、目が覚めた。ざざざざん、ざざざざん、と、波の音が聴こえる。

いつもと違う天井。いつもと違う部屋の匂い。ぱりぱりとしたシーツ。畳の青い匂い。

出張で訪れたN市のT町は、故郷の町に似ていた。窓を開けると眼前に遥々と海が広がる。日本海の青は、濃く力強い唐藍の色をしている。

樹上調査組の水島さんと花田君は昨日の夜の新幹線で東京に帰り、私はもう一度現場を覗いて報告書を作る為、二日予定を延ばした。

 

たらこと南蛮味噌と粕漬けの三種盛、美しい透明色のいかのお造り、塩焼きのキングサーモン、焼きホタテ、厚焼き玉子、蜆汁。

たっぷりとした朝食を取って、少しばかり胃の重たさをもてあましながら、畳の上に横になる。食べてすぐ横になると牛になる、と、叱りながら教えてくれたのは母だ。

「牛になぁほうが、人間でおるより楽でいい」などと、生意気なことを言ったのは、確か小学校四年生の私だった。その時の私も今と同じように畳の上に寝転がり、縁側の向こうの庭を眺めていた。

眺める庭はまるでマスカットのように明るく透き通る緑や、陰鬱な翡翠色に溢れていて、その隙間には埋もれるように虎尾草やホタルブクロの清々しい白、時計草や朝顔の滴る青、千日草の燃える赤。

畳みに頬をぺたりとつけて、猫よりも低い目線から眺める景色はどこか違う世界のようだった。食後の卓を片付ける母の裸足は節だっていてまるで男のようで、そこだけが別個の生き物のように見える。あれはなにか、知らない誰かの足。知らない生き物の足。茶碗のかちゃかちゃ当たる音。お勝手で水を使う音。きっと、夏休みだったのだと思う。時間の流れはまるで止まっているかのようになだらかで、そのくせ夢のように突然終わりがくる。そうしていつの間にかまたランドセルを背負っているのだ。

 

このままだと延々と記憶の渦に飲み込まれそうだったので、牛になぁほうが、いいかどげかはわからんけどな、と頭の中で呟いて起き上がり、ブラッドベリの短編を開いた。

牛は猫よま低い目線で世界を見ぃことはできんしな。そぉに、牛は本、読めんしな。

 

現場に行くのは夕方でいいだろうと、本は途中にして昼まで砂浜を歩いた。大きな海水浴場なので、点々と海の家が並び立ち、ぎしぎしと足に響く砂の間には細かい塵やストローが突き刺さっていたりする。夏休みの子どもたちはのびのびとした麦色に肌を染め、まるで虫歯なんてなさそうな、ぎゅっと小粒の硬そうな白い歯並びをぎぃっとむき出して笑っている。

麦色の子どもの一人が走ってきて私にぶつかった。「すーませんっ」という甲高い声と、からりと乾いた砂をぱらぱらと肌から私の足元に落として、走り去る。

パラソルの下の夫婦は彼の両親だろうか。或いは親戚の叔父や、叔母夫婦だろうか。

 

さくさくざくざくぎゅりきゅり、と歩いて、アスファルトの上で指の間の砂を落とし、海沿いのレストランに入った。

朝食が少しばかり重たかったので、昼は軽めで良いと思い、ゴルゴンゾーラのグラタンと自家製サングリアを頼む。

木の香りのする店内に、広く取られたテラスから、生温いような、涼しいような潮風がたっぷりと流れ込んでくる。古びたログハウスは潮風ととても相性が良いようだった。

海の青の遠くに、くっきりと佐渡島が見える。

 

「今日はとても綺麗に晴れてるからほら、佐渡がくっきり綺麗でしょぉ。こっちは曇りも多いから、あんげに綺麗に見えるのも、運いいほうよ、お客さん」

 

ゴルゴンゾーラのグラタンは濃厚で、自家製サングリアはすっきりと綺麗な味がした。