風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

七月朔日 snail

べたりと重たく分厚い何かが皮膚をまんべんなく覆っているような不快感に目を覚ます。首の辺りがべたべたと汗をかいて冷たくなっている。寝巻き代わりのTシャツも、背中にぴとぴと張り付いて気持ちが悪い。シャワーを浴びに、階下におりた。時計はまだ六時を指している。

風呂場の窓から見える空はくっきりと青い。分厚い雲がぼこぼこと浮かんでいる。沸騰する泡のようだ。威勢のいい空は音を立てそうなほどにきらきらと光っている。シャワーをざぶざぶと浴びて、出た。袖なしのワンピースを着て、朝食の支度をする。

卵一つ小鍋で茹でて、茹で卵にする。中鍋のほうにはじゃがいもを三つ。ぐらぐらと煮立たせて砂糖をひと匙入れた。レバペーストと杏のジャムを小皿に入れる。先月漬けた塩らっきょうとハムを刻んで、トースターに食パン一切れ入れてダイヤルをひねった。

熱々のじゃがいもを荒くつぶして、刻んだらっきょうとハムにマヨネーズ、塩胡椒ふって、混ぜ合わせる。ガラスのボウルのまま、熱々を食べるのが美味しい。パンにレバを塗って齧る。レバ刺しも韮レバも好きではないのに、ペーストだけはどうしてだか好んで食べる。最後の一口だけ杏ジャムをのせた。茹で卵はポテトサラダに入れ忘れてしまったので、昼にでも食べようと、冷蔵庫に仕舞った。

猫が、にに、と鳴いて足のあいだをすり抜けていく。暑くなりそうな空だ。

今日は仕事が休みだし、空はまるで洗濯のシャボンにまみれたように清々しいので、これはもう一日洗濯だ、と二階に上がってシーツやらタオルケットやらひっぺがして、ついでに居間の座布団カバーも剥がして、洗濯機に放り込んだ。大物ばかりなので三回は回すことになりそうだ。

ごうんごうん、という洗濯機の音と一緒に、重たく回りだしそうな青すぎる空は見上げていると目眩がする。

縁側に座って、本を開く。隣家の梔子がしんしんと香りを漂わす。紫陽花の株に隠れるように夏椿が仄白く浮かぶ。大きな雲が出てきた。

小説の中に、夾竹桃の花の描写が出できて、夾竹桃の枝には毒がある、と、教えてくれたのは三年前に亡くした祖父だったと思い出す。

夾竹桃の枝には毒があぁから絶対に嘗めてはいけん。昔、武士が山で弁当食べようと箸にして死んだことがあぁで」

木蘭色の着物に黒い帯を締めた祖父の、まるですべすべと木の皮のようだった両手を思い出す。

ごとん、ぴぃぴぃ、と音がして、洗濯機が止まる。シーツとタオルを干せるだけ干したら、庭はまるでサーカスのテントのようだ。美しい空中ブランコ。恐ろしいライオンの火の輪くぐり。

子どもの頃、実家の応接間には黄色と赤のだんだら縞の衣装を着た古ぼけたピエロの人形が飾られていて、私はそのピエロの顔がどうにも怖ろしくて好きではなかった。怖ろしいのに、つい覗いて見てしまう。陶磁の冷たい白い頬に、涙は一粒だったろうか、それとも二粒だったろうか、それともそんなものは描かれていなかったろうか。精巧な作りの指先に爪はあったか、否か。眸はブルーか、それとも黒い十字だったろうか。頭に帽子は?髪の毛の色は?

何度も見ているはずなのに、思い出そうとすればするほどピエロの姿はあやふやで、もしやそれは幼い私の心が見ることを潜在的に拒んだ結果なのだろうか。いつでも目蓋の裏に浮かぶピエロはどこか残忍な影をまとっただけの曖昧な影になり、そうすると私は嫌で仕方がないくせに、応接間の扉をほんの少し開けて、ピエロの姿を都度、確認してしまうのだ。

ああ、あのピエロはまだ実家の応接間にひっそりと座っているんだろうか。今でも目蓋に浮かぶピエロはあやふやな輪郭をしていて、或いはそんなものは端からなかった、ということになればそれはそれで怪談話めいているが。

はためく洗濯物のテントの中、埒もないことばかり考えている。

洗濯は二回まわして終わった。シーツやら座布団カバーやらタオルやら。夥しく布がはためく庭は更に賑わしいサーカス。或いはひしめき合うタルチョ。

清々しくも粉っぽい洗剤の白い匂いを深呼吸してから、散歩に出た。

午後の陽射しに反射して、白く埃っぽいアスファルトの上に、紫陽花の葉が落ちている。肉厚で、天麩羅にでもしたらぱりぱりと美味しそうな葉っぱだ。紫陽花にも毒があることを教えてくれたのは、祖父だったか祖母だったか。てらてらとまるで塗りたてのペンキのように光る緑の葉。その葉の上に小指の先ほどの小さな蝸牛が乗っている。葉と一緒に落ちてしまったんだろうか。

薄く、日に透けそうなほどに脆そうな練色の殻。

死んでいるのだろうか、としゃがんで覗き込むと、小さな首をもたげた。針の先ほどの目玉は夜空を絞ったような黒色。

「サビシイカイ」

風に紛れる程の小さな声は、勿論蝸牛が語りかけたわけではなく、その時の私の心の揺れが、偶然に空気をそう響かせただけだろう。壁際の日陰に葉を寄せて、図書館までの道のりを歩き、また折り返して帰るときにはもう、蝸牛ののった葉はどこにもなかった。

夜になると紫陽花よりも夏椿がいよいよ白く、光るようにその姿を現す。隣家の梔子も匂いをさらに濃密に漂わせ、知らない猫が目を光らせながら足早に庭を走り抜ける。

夕飯はオクラを大蒜と塩だけで炒めたものと、茄子の漬物、麦酒、で終わりにした。冷蔵庫の茹で卵はどうにも腹におさまる気分ではなくて、そのままに白い殻、白い身、黄色い身をひやひやと冷やしている。今日は考え事をたくさんしたから、脳みそも胃も疲れているのでしょう、と、風呂に入り、そそくさと二階へと上がった。

電気を消して、目を閉じるといつもはあやふやなピエロの顔がくっきりと鮮やかに目蓋の裏に浮かんだ。

ああ、そうだった。頬には涙が一粒だった。眸は美しく緑がかった青のガラス玉。

そう思い出したところで目蓋の裏の景色は一瞬にして咲き誇る夾竹桃の群れになり、毒を含むその花の、絢爛たる不穏さの中で眠りについた。

七月朔日が終わる。