風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

Polaroid sea

ユウビン、と、電子鴎が運んできた茶色い小包の中身は、錆びた金属の箱だった。

青と緑の錆びに覆われたその箱の中からは、微かに波の音が聴こえる。キイロは食卓のブランコに腰を下ろし、蓋を開けた。

中にはポラロイドが一枚。美しい青は、水面を写しているようだ。

手に取り、角度を変えると風景が変わった。くっきりと穏やかな海と空が写る。写真の中ではそよ風の速度で雲が流れ、日が沈んでは星が昇り、また朝が来る。スコールの後の虹。トビウオの群れ。繰り返される夜と朝。波の音も景色の流れる速度でそのボリュウムを変える。

ブランコを揺らしながら、この奇妙な贈り物は誰の手によるものなのだろう、と考える。差出人の名前はどこにもない。キイロはストリングスを耳にかけ、ポスタルの番号を弾いた。

「南Cブロックポスタル」

「差出人を知りたいのだけど」

「ナンバーヲドウゾ」

「05-9134Qre88」

「05…Qre88…、ソチラノナンバーデノトドケデハゴザイマセン」

「でも今朝、電子鴎が届けたんだぜ」

「モウシワケゴザイマセンガ、ソチラノナンバーデノトウロクハゴザイマセン」

キイロはシガレットに火をつけ、窓の外に広がる「底」を眺めた。このポラロイドはいつの時代に撮られたものなのだろうか。カルセドニーの色をした煙が窓の外へと零れ落ちていった。

海が絶滅したのが前々世紀の初めだから、もう二百年の時が経つはずだ。それにしては瑞々しく、美しい。ポラロイドの中では今まさに満月が煌煌と海面を銀色に照らし、潤沢な紺青の海は重たげに、身体をよじるように揺れ動いている。

「底」に映し出されるホログラムの海とは、全く違う、生き物として呼吸を繰り返す正しい海だ、とキイロはうっとりとした。

世界が広がり始めたのは海の絶滅した前々世紀から更に遡ること二百年という。時間も空間も全てが限界まで広がり、収集がつかなくなった神は一度世界を畳んだのだという。

残されたのは「底」と呼ばれる世界の受け皿だけで、その受け皿の上には「色彩」と「音」と「植物」だけが残された。世界が畳まれた時に、海は全て零れ落ちてしまった。

中央天文台の映し出すホログラムの海は美しいが、やはりそれは生き物としての呼吸を感じさせることのない、冷ややかな青の集合体に過ぎない。

キイロは感動でその体を点滅させながら、再びポラロイドに目を落とす。耳を澄ます。生きた海を見つめる眸から、命が宿ったような感覚だ。目を閉じると身体の中を心地よい風が吹き渡るようだ。波のうねりは激しい血流のようだ。しかしこれは過去からきた幻影に過ぎないのだろうか。焼き付けられた誰かの記憶に過ぎないのだろうか。

それでもいま、俺は初めて鼓動を手に入れた。と、キイロは思っている。

窓の外ではジャングルがホログラムの海にひっそりと紛れている。

どこからか聞こえてくる、汽笛の鋭い響き。

end