風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

子供と夜の時間

Wの家ではいつも私は一番年下で、一人だけ子供で。それはつまらなかったり面白かったり、勿論、色々だった。

でも大概面白いことのほうが多かった。ここの大人たちは子供だからといって「夜の時間」を出し惜しみしなかったから。

夜中のトランプ、夜中の卓球、夜中のおやつ、夜中のドライブ。夜の愉しみたち。

夜中の応接間。大貧民やら51やら。私の隣にはいつもHさんが座っていて、私たちの後ろはいつも庭に面した大きな窓。

天鵞絨のカーテンの隙間を見てごらん、ほらダイが××ちゃんを見ているよ、とHさんはいつも言う。ダイはもう4年も前に死んでしまった。私はいつも「ダイだったら見てても怖くない」と言い返す。ダイはラブラドールレトリバー。とても大きくていいやつだった。まだ私が歩けないような時からHさんとダイと三人で散歩をしていた。だから、怖いわけないじゃない。スペードが好きでハートが嫌いなのにハートの手札ばかり集まってくる。子供の私はスペードでクールに上がりたいのだ。今だったらハートも好きだと言えるのだけれど。

いらいらと足をぶらぶらさせていると番茶の香りがする。お茶も珈琲も、ゲームに参加しない人が淹れる。

でもやはり果物だけは別で、果物はどうしたってHさんが剥くのだ。Hさんの手から滑り落ちる林檎が、洋梨が、グレープフルーツが、美味しいのだ。

パジャマのままドライブに連れて行かれることもあった。誰かが言い出す「なんかラーメンが食べたい」だの、「本買いに行こう」だの。

夜の玄関は沈んだ蛍光灯の色。母親たちは残る。車に乗り込むのは子供の私と、少しばかり子供に近い大人たちと、Hさん。

夜はのっぺりした墨色だ。記憶はいつでも夏で、青々とした稲が夜に沈んで海のようになびいている。深夜営業をしている本屋は広々としていて、人が全然いなくて、プールにも似ていて水槽にも似ていて、そこにパジャマ姿でいる不思議な感覚はきっともう味わえない。あの時だけの特別な何かだ。

帰り道、怖い話を始めるのは決まってHさんとYちゃんだ。怖がりの私は窓の外を覗くのが嫌になる。何かが見えそうで怖くなる。でもやはり覗いてしまう。目を無理矢理見開くようにして眺める窓外の風景はどこか現実から外れたところにあった。ほんの少しだけ外れたところに。

車を止めて田んぼの脇にみんなで立って空を眺めた。不思議な音がする。あれは何の音だったんだろう。

「星が降ってくるみたい」

だと、言ったんだよ、××ちゃんはあの時。わあ、って声を上げて。

亡くなる前、会ったときにそう言われたけれど私は覚えていなかった。

亡くなった後、その人の娘からも同じことを言われた。星が降ってくるみたいだって、××ちゃんが言ったんだよ、あの時。すごく覚えているよ、と。

Hさんに関して私は本当に悔いている。Hさんに関してだけは、私はどうしたってもう一度時計の針を戻したいのだ。