風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

四月朔日 watanuki

猫に踏まれて目が覚める。空は姿勢良くはためく旗のように潔く晴れている。

私の顔を踏みつけた猫は知らん顔して布団の端っこにごろりと座り、悠然と股の間など舐めている。いやあねえ、お前には羞恥心がないものねえ、とせめてもの憎まれ口叩きながら服を着替え、台所に立った。お勝手の窓も、青く切り取られた旗のようだ。口笛吹きながら薬缶に水を入れてお湯を沸かし、もう一つのコンロでは昨夜の残りの味噌汁を温める。味噌汁には冷やご飯をしゃもじ二掬いほど入れて玉子とバタを一欠け落とす。おなかのすく匂いだ。窓の外からは雀の声に混じってバイクの音や、何の音だろう、トンカントンカンと釘を打つような音も聞こえる。

猫が足元にまとわりつく。にいにゃあふぐぐぅ、と鳴いて、踝あたりに人間で言えば耳の裏あたりをすりつける。缶詰を開けて丁度半分、皿に崩して、猫の鼻先に置いた。はぐしゃぐはぐしゃぐ、と一心不乱に食べて、牛乳をしゃぐしゃぐと飲んで顔を洗った。

横目で眺めながら、私も箸を取る。半熟よりも柔らかく煮た玉子の黄身に箸を入れると、ぷつり、と白身の膜を弾いてとろとろじわじわと綺麗な山吹色の黄身が流れ出す。一口だけかき混ぜずに黄身とご飯を絡ませて食べ、あとはぐしゃぐしゃとかき混ぜて食べる。半分ほど食べたらお茶が欲しくなり、番茶を淹れた。食後には一昨日唐島さんから頂いた苺を潰して牛乳をかけて食べる。

庭に出て、洗濯機を回す。本当に良く晴れた青空だ。小さいくらげのような形の雲が、申し訳程度に空の高いところを漂っている。春の光はそこかしこに乱れ飛び、ぼんやりしていると目がちかちかとしてくる。洗濯機の回る、ごうんごうんという重たい音。重たげに水のまわる音。その音を聴きながら物干しの下に置いてある木の椅子に腰掛け、本を読む。本を取りに部屋に入る時に、縁側で向こう脛を強かに打ちつけた。サンダルの裏に貼られたゴムがめくれて躓いたのだった。強力ボンドでも買ってきて、貼らなければなあ、と思いつつ、ついそのままにしてある。きっとまた同じように向こう脛をぶつけて、その時も強力ボンドを買わなきゃなあ、なんて思うのだろう。

物干しの近くには柿の木が植わっているので、手元が陰になり、本を読んでもそう疲れない。猫はいつのまにか縁側の陽だまりに丸くなって眠っている。玄関先に植えてある沈丁花の匂いがふわりと鼻先を掠めては消える。軒の椿が、はたり、と落ちた。

「…一切はその水平線の彼方にある。水平線を境としてそのあちら側へ滑り下りてゆく球面からほんとうに美しい海ははじまるんだ。君は言ったね。布哇が見える。印度洋が見える。月光に洗われたべンガル湾が見える。現在眼の前の海なんてものはそれに比べたら…」

遠くで小学校のきんこんかんこんとチャイムの音が響く。庭に比べて部屋の中は薄暗く柱の時計も陰になっているが、目を眇めるとその針が十一時四十五分を指しているのが薄っすらとわかった。洗濯機の回る音もいつの間にか止まっていて、慌てて洗濯籠に脱水されてしかしかとした手触りのひいやりと冷たい服やら下着やらを移す。猫が一つ大きな欠伸をしてするりと庭に降り、軒の椿の隙間から往来へと出て行った。猫には猫の暮らしがあるのだ。

物干しに洗濯物をかけながら、白いタオルに日の光の空けるのを眩しく見つめながら、今日はもう四月で、世の中全てに春は降り注いでいるなあと感心する。庭の蒲公英にも、片隅の雪柳にも、私の腕に光る産毛にも。春は惜しみなくその光と温もりを降り注ぐ。

シーツを洗ったので、洗濯物をかけ終えるとまるでこの庭は帆船のようだ。あたり一面、さばさばと美しい波頭が砕け散る青海原のようだ。湿った洗濯物たちを掻き分けてまた椅子にこしかけると、シャボンの清々とした鼻の奥を洗うようないい匂いが降り注ぐ。暫く目を閉じてその匂いに身を浸し、本に栞を挟んで昼食の支度をしに、部屋へと戻った。

昼食は、これまた昨夜の残りの掻き揚げを温かい蕎麦にのせて食べた。柱時計が、ぼーんぼーん、と二時を打つ。皿を洗い、冷蔵庫を開けて夕食の買い物が必要ないことを確かめて、二階に上がった。干している布団を背もたれにして、本の続きを読む。挟んだはずの栞は見当たらず、適当な頁を開く。良い本というのは、どこから読み始めても結局素晴らしい。

「…それはただそれだけの眺めであった。どこを取り立てて特別心を惹くようなところはなかった。それでいて変に心が惹かれた。なにかある。ほんとうになにかがそこにある。と言ってその気持を口に出せば、もう空ぞらしいものになってしまう。…」

いつの間に眠ったのか、本は膝の上から畳みに滑り落ちていて、箪笥の上の置時計は三時四十分を指していた。空はまだいよいよ青く高いが、少しばかり部屋に翳が入り込む。布団を取り込んで、駆け足で階段を降り、庭に出て洗濯物の乾いているのを確かめて縁側に重ねる。傾きつつある陽射しを浴びながら洗濯物を畳んでいると、その中に、桜の花びらが二枚混じっていた。

桜の樹はこの家のすぐ傍にはないのに、桜の季節になると花びらだけがいつも風に雑じって飛ばされてくる。通りにはピンク色の吹き溜まりできることもある。庭の土の茶色に、点々と白い花びらが落ちているのは何かの足跡のようでかわいらしい。

捨てかねていつかどこかの砂浜で拾ってきた白い貝殻の窪みに入れた。いつの間にやら帰ってきた猫がふんふんと匂いを嗅いでいる。

昼の名残を残しつつも段々に夕闇は庭にひっそりと落ちてきて、柱時計は六時を打つ。硝子戸を閉めて、夕食の支度に取り掛かった。猫が「わたしの分は先にしてくださいよ」とでも訴えかけるように、にぁぁん、と顔を擦り付ける。

苺と一緒に唐島さんに頂いた筍を椎茸と一緒にうま煮にしたものと、じゃが芋のポタージュ、冷凍しておいた豆ご飯、牛肉のガーリックバタ炒め、を並べて、麦酒で頂く。味の濃いものがもう少し欲しくなって、オイルサーディンに粉チーズをかけてトースターで焼いた。ポタージュはもう少し荒く漉してもいいかもしれない。柱時計は八時手前。

猫が座布団の上で耳を掻く。

麦酒のコップを片手に、硝子戸越しに庭を見透かせば、夜はもうぐったりとそこかしこに降りてきていて、物干しも柿の木も蒲公英も青と黒の世界に沈む。早咲きの雪柳だけが抗うようにぽつりぽつりと白く光る。知らない猫が庭を横切った。振り返ると家の猫の耳がぴんと立っている。気配を感じるのだろうか。星も見えず、月も隠れている。雨戸を閉めて、後片付けをする。風呂に入り、髪を洗い乾かして、水をコップに半分飲んで、全ての部屋の電気を消し、二階に上がる。寝部屋で北と南に一通ずつ手紙を書く。一つは明日出す。もう一つは書くだけで出さずに抽斗に仕舞うだろう。出さずに仕舞われた手紙で抽斗はいつか閉まらなくなるのかもしれない。かもしれない、などと思いながらも頭の片隅ではもう明日の朝の献立を考えている。人間は悲しむより先に、生きている。猫を布団に呼び寄せて、卓上ライトのスイッチを切る。繭に潜り込むように布団の中で丸くなる。足の先を猫の腹にちょんと当てたら、ぐぅとこもった声がして、咎める程度に噛まれた。階下から柱時計の十二時を打つ音。

四月朔日が終わる。