風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

フェンスの穴、プールの屋根

フェンスの穴を抜けると、スイミングスクールの屋根に上ることができた。フェンスは高台にあるマンションの廊下に面していて、その高台の下にスイミングスクールが建っていた。高低差が丁度スイミングスクールの屋根=そのマンションの一階で、『そのマンション』に住んでいた男の子に教えてもらった。男の子のお母さんはピアノの先生で、私はそこの教室に通っていたのだ。

屋根の上は素晴らしく気持ちが良い。少しだけ傾斜のある、ほぼ平らの臙脂色のざらざらとした手触りの広々とした屋根。換気口だったのだろうか、四角く短い煙突のようなものが等間隔で並んでいて、その陰に隠れて本を読んだりしていた。

換気口からは鋭いホイッスルの音や、水飛沫の音、ゆわーんと響きたわんだ子供たちやコーチの声、たっぷりとしていて清潔な水の匂い、塩素の匂い、そんなものが湯気となって流れてきていて、それらを聞いたり嗅いだりするのもなんだか良かった。泳げないくせに私はプールが好きだ。プールという響きも、場所そのものも。

住宅街だから周りに高い建物はなく、寝そべると空しか見えない。視界に広がる遥々とした空は、夏は濃く降り注ぐように青く、冬は垂れ込めるように深く静かに青かった。

冬の午後に屋根に登って、空を眺めるうちに雪が降ってきたことがある。ピアノの練習をしていなくて、怒られるのが嫌でエスケープしたのだった。寝転んで、見上げる空から降る雪の余りの美しさに呆然とした。浮き上がるような、或いは沈み込むような、目眩のような感覚。雪は私という一点を目掛けて落ちてくる。止まりながら、沈むように、落ちるように、舞うように。止まるスピード。

睫に雪のひとひらがひっかかる。じわりと溶けて目の縁に滲み、眼球に滑り込む。このまま時間なんて止まってしまえばいいと、酷く鮮やかに思った。

暫くして良心的なマンションの住民によってフェンスは塞がれてしまい、逃げ場を失った気がした。