風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

置いてけぼり

あれはいじめが終わった頃だから小学四年生だか三年生の終わりだったと思う。

昼休みに、三人の女の子たちに「学校終わったら遊ぼう」と誘われた。その子達はクラスの中では目立つタイプの子らで、もちろんいじめにも率先して加わっていて、そのときは誘われて嬉しくて頷いたけれど、どうしてわざわざ私を誘うのかと不思議だった。

いじめは主に「無視」という形で行われていて、存在を認めてもらえないというのは酷く辛いものだなと子供心に痛感した。それまでも大して友人も多いほうではないし、一人で本を読んだり絵を描いたり、気の合う友達と少数で話をするほうが好きだったけれど、無意識に放っておかれるのと、意識的に放っておかれるのでは全然空気が違うのだと実感した。

それまで同じく絵を描くことが好きで休み時間は大抵一緒にいたOが、いじめが始まった途端に積極的にそれに加わったことで、人というのは裏切るものだと教えてもらった。男の子というのは女の子ほど悪意もなく陰険ではないけれど、全く役に立たない傍観者に過ぎないということもわかった。いじめは酷くエスカレートすることもなく、良かったことには他のクラスに仲の良い男の子がいて、その子がいるからなんとか色々なことが踏みとどまれた気がする。でも同時に、子供の世界なんてやはりあの狭い「教室」という空間でしか感情も物事も動かないこともわかった。セイジくんがいることで確かに学校外の私は救われていたけれど、「教室」の中の私にとってはやはりセイジくんも他の世界の住人でしかなかった。

きちんとあの頃の気持ちを考えてみると、死にたいくらいに傷ついていたのだと思う。情けないけれど。

そう、情けない、恥ずかしい、と子供だった私も思っていて、面倒くさいことだ、くだらないことだと思い込むことで、達観する(ふりをする)ことで血の吹き出ている傷を見ないふりをしていた。

気づかないふりをしたところで実際には悲しくてやりきれない気持ちだったというのは、その頃「なんだか今車に轢かれて死んじゃったとしても別にいいな」と帰り道によく考えていたことでもわかる。大人になった私は、その日の自分に「バッカみたい。そんなのすぐ終わるし、大人になったらちょー楽しいんだから」と声をかけられるけれど、子供の私にもしそう伝えられたところで子供の一瞬は永遠みたいなものだから、あの日の私の暗い気持ちは変わらないだろうな。

未来の私ですら、あの日の私にとっては傍観者に過ぎない。

話がずれてしまったけれど、私を誘った三人の女の子は、結果から言えば待ち合わせ場所に来なかった。

待ち合わせ場所は学校の正門で、自転車で来てね、と言われて約束の時間の五分前にはきちんと到着していた。正門脇には大きな桜の樹が二本植わっていて、それが枯れていたからやはり秋か冬だったんだろうか。それとも気持ちの寒さが記憶を作り変えているのか。判然としないけれど、やはり冬だった気がする。約束の時間になり、その時間を過ぎ、15分経ち、30分経ち、一時間待ったところで家に帰った。晴れた日で、桜の枝が綺麗に伸びて、アスファルトの上は埃っぽく日の光がやわやわと停滞していた。帰る道すがら通りの向こうにその三人が自転車で走っているのを見て、見つからないように曲がらなくていい角で曲がって遠回りをして帰った。

うちの母はずっと働いていた人だけれど、その日に限って会社を休んでいて、遊びに行くと出て行ったのに一時間そこらで帰ってきた言い訳に困った。確か「日にちを間違えた」だか「待ち合わせ場所を間違えて聞いていて会えなかった」とか、言った気がする。置いてけぼりを食らわされた当人よりも、きっと母のほうが傷つくだろうと思って本当のことは言えなかった。

翌日、何事もなかったように三人に「おはよう」と言われて、泣きたくなった。泣かなかったけれど。笑って「おはよう」と返したけれど。

そこからまた無視が始まるようなことはなかったのだけれど、あの一件はいつまでも私の中で薄暗い影を落としている。

なんて、そんな執念深いところがダメなんだろうか。

あの頃、色々なことを考えていた。今よりもずっと深く自分のことを考えたと思う。自分の顔や表情が、相手に不快感を与えるのだろうか、とか、言動に問題があるのだろうかとか。そうして、どうして人は他人を傷つける言葉を、こうもやすやすと口に出来るのかと怯えた。それは本当に、心底怖かった。心に深く傷を残すような、意地悪で悪意に満ちた言葉を、軽々と口に出来る子供たちに怯えた。そして、存在を認めないという、圧倒的な悪意。

悪意を、悪意で返さなければ終わるのではないか。そういうものでもないのか。やはり私の気づかない私の中の何かが相手に意地悪な気持ちを起こさせるのか。

与えた痛みが自らに返ってくるシステムになっていれば良かったのにと思った。相手に与えた肉体的・精神的苦痛が同じ痛みで与えた本人に返ってくるようになっていれば、世界はもっと平和だったのに、神様の馬鹿、

なんて、

そんなことばかり考えていた。いや、今思い返してみると本当に暗いなあ。思い出さないようにすればするほど暗い色は増すようで、今はもう話してしまうほうが楽だということにも気づいたけれど、大人になるまでは誰にも話せなかった。無視をされたなんて、そんなことは恥だと思っていたんだ。

未だに置いてけぼりは怖い。自分が相手に不快感を与えているのではないかと不安になる。あれだけ心が痛くなるのだから自分が関わる相手にはそういう思いをさせたくない、と思っている。少しでも相手が嫌がりそうな言葉は口から出ないようにしている。でもそれも嫌われたくないという媚の現われなんではないかと勘繰って、本当に卑しいな偽善者だな私は、なんて落ち込んだりする。本当は嫌いも好きもなく、放っておかれるのが一番楽なのかもしれない。寂しいけれど害はない。

大人になってさえもそんなことを時々考えてしまうほどに、記憶を曖昧にしてしまうほどに、はっきりと傷跡は残っている。