happy like honeybee「連想ゲーム」
卒業式に雪が降る。ふわりふわりと牡丹雪が落ちる。僕の黒いダッフルコートは肩に霜が降りたようになっている。桜の枝はまるで樹氷のようになっている。
空はじゃりじゃりと音がしそうな凍る空。鳩羽色のシャーベットみたいだ。蒸気機関車のように白い湯気を口から吐き出しながら歩く。不揃いな椅子たちの喫茶店に向かう。二月に勤めていたデザイン会社を辞めたセンダは今、そこでバイトをしているのだ。薄っすらと積もりつつある雪をしゃぎしゃぎと踏みしめながら歩く。
暗い雪空の下、喫茶店は船室にぶら下がるランプのような橙の光を放っている。
「あー蝉ちゃんだ、いらっしゃい」
赤毛のアンみたいな色した髪の毛のセンダは、カウンター越しに嬉しそうに笑う。僕は黒い革張りのスツールに腰を下ろす。キッチンのカーテンがふわりと揺れて、イリエさんが顔を出した。ここのマスター。長く伸ばした髪の毛を後ろで一本の三つ編みにしている。三つ編みが似合う男の人がいるなんて、全くもって吃驚なんだけど。だってそんなの似合う男の人ってインディアンくらいじゃない?
そう思ったら急に頭の中に颯爽と黒い馬に乗って走るインディアンの姿が浮かんだ。カラフルな鳥の羽飾りをつけて。沢山のビーズがあしらわれたアクセサリーをつけて。すげえ、かっこいい。
頬杖をついてぼうっとしてると「なに飲むのよ」とセンダに突付かれた。シナモンコーヒー、プリーズ。
こんな寒い日だし、平日の谷間の午後なんて、誰も来やしない。しんと静まる店内に流れるのはしゅんしゅんとお湯の沸く音。がりがりがりとコーヒーミルを回す音。
「今日はレコードまわしてないんだ」
大抵この店はクラシックのピアノ曲か古いジャズがかかっている。
「うん、今日は雪と風の音でも聴こうかと思って」
そう言ってイリエさんは静かに笑う。この人、多分四十近いんじゃないかと思うんだけど、たまに十七歳くらいに見える。そんな男の人も、僕は他に見たことがない。だからセンダも好きになったんだと思う。まだ僕が気づいてないと思っているけどさ、彼女。
僕の横目にも気づかずにセンダは真剣な顔でお湯を注いでいる。琥珀色の香りが鼻先をくすぐる。ジェード色のマグカップにシナモスティックを乗せて、差し出す。
「さっきなにぼぉっとしてたの?」
「イリエさん見てたらかっこいいインディアンが頭ん中走って行った」
センダは、三つ編みからの連想!頗る単純だ、と笑う。そうして、インディアンといえばコンドル、と言う。それだって充分単純だよ、とイリエさんが笑い、そうだねえ、コンドルと言えばそれじゃあサイモンとガーファンクルかな、と言ってレコードを探し始めた。いいね、S&G。センダが鼻唄を歌う。Feelin' Groovy。店員がさぼってるけどいーんですか、とイリエさんに聞いたら、今日は開店休業だからかまわない、と言われた。そんなことだからたかがバイトの小娘が付け上がるんですよ、と言ったらセンダのでこぴんが飛んできた。イリエさんは相変わらず柔らかく笑っている。
「サイモンとガーファンクルといえばさ、初めて聞いた時(名前をだよ)僕はなんとなくスモークサーモンが出てきちゃったよね」
「それはすっごく、もうなんともいえないほどに単純だね」とイリエさんが笑った。
「でもわかる。なんかサーモンだし、ガーファンクルって響きがどこか煙たいのよね」と、センダ。
そうそう、そうなんだよ。ガーファンクルって言葉に出して言うと今にももくもくと煙が出てきそうな雰囲気じゃないか。なんてくだらない会話を僕たちはしている。楽しいな、と思うよ。こういうのって。でも、ずっと続くのかな。どうなんだろう。僕にはまだよくわからない。
でもサイモンとサーモンが結びついちゃうのって、純粋に子供、な感じがするなあ、とセンダはため息をついた。そういうの、昔はもっといっぱいあった気がするもの。自由で知識みたいなものに囚われない連想ゲーム。
そういうものかな、と思う。センダは何にも囚われているようには見えないけれど。
ところでサーモンと言えばピンクだけれど、と僕は珊瑚色のリボンがかかった箱を取り出した。センダはきょとんとした顔をしている。
「僕はそんないいもの買えないけど」
買えないけど、結構素敵なカップだと思うよ。薄いブルーグレーに綺麗な檸檬色の線が入っている。イリエさんのには紺に近い紫の線。
センダが包みを開けてゆるゆると微笑む。素敵な笑顔だ。僕はこれからの人生でこんな笑顔の女性に何人くらい出会えるかな。楽しみでもあり、不安でもある。
「やっぱり今までみたいに遊べなくなっちゃうのかな」と僕が言うと、「なに言ってんのよ、今までと変わんないわよ」とセンダは怒った。イリエさんも、なんにも変わらないよ、と頷く。まあ、そうだけどさ。でもセンダだっていずれはお母さんになるだろうし、そうそう僕の相手もしていられないだろう。
「センダに子供が生まれたらさ、今度は僕がその子の相手をしてあげようと思うよ」
と言うと、二人ともくすくすと笑った。そうして「蝉ちゃんも卒業おめでとう」と、僕の包みよりも少し小さめの綺麗な緑色のリボンがかかった紙袋を渡してくれた。
じゃあ、またね、と店を出たら、相変わらず空は落ちてきそうなほど暗い灰色だったけれど、雪はもう止んでいて、薄っすらと霜のように積もった白は既に溶け出して水溜まりになりつつある。しみしみじんじんと冷える濡れた足先を気にしながら、言われたとおり長靴を履けばよかった、と思う。僕は少し格好つけなところがあるんだよね。知らない家の壁の向こうの椿、不意に現れる自転車のゴムが滑る音、排気ガス、僕の内部からとどまることなく出続ける温かく白い息。全部がこう、小さい硝子のボウルに詰まっているように、酷く「近い」気分になった。言葉で説明するのって難しいんだけどさ。たまにある、世界と自分の内部とがとても密接に結びついているような気分の時が。
歩きながらもらった紙包みをあけたら、手作りらしいカメラケースが入っていた。しっかりとした焦げ茶の生地に綺麗なトルコブルーや紫や朱赤で不細工な鳥の刺繍が刺してある(センダだろう)。ネックストラップはこれもトルコブルーとオレンジの細い革で編まれた、しっかりと綺麗な編み目のもの(これはイリエさんだな)。
そういえば東京に住む叔父から卒業祝いにカメラが届いたと、こないだ話したんだっけ。不細工な鳥は本当に不細工で、不細工すぎてなんだか逆にお洒落に見えるという不可思議なシロモノだった。
僕は空っぽのカメラケースを首に提げ、紙包みは綺麗にたたんでランドセルに入れた。
今度センダとイリエさんにあったらまずお礼を言って、さっき僕が陥った、なんかさ世界と自分の内部が密接な感じ、なんだか「近い」気分になることない?って聞いてみよう。センダはきっと「あるある。なんだかぎゅっとすぼまっちゃう感じなのよね」なんて言うだろう。イリエさんは多分「本当にはわからないけれど、なんとなくわかる」なんて柔らかく笑うね。
そうして、まずは二人の写真でも撮ってやろうか、なんて思いながら僕は急に走り出したくなった。
僕たちに必要なのは持続させたいという願いみたいなものじゃなくて、持続せざるを得ないような衝動なんだ。