風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

happy like honeybee「ドクターペッパーの櫛」

冬空。白っぽい曇り空に鳶が舞っている。ぐるりぐううるりと大きく弧を描く。川の上を随分沢山飛んでいるね、誰か死んでいるのかもしれないよ、と、洗濯物を干しながら母さんが言っていたのを思い出す。案の定、

「ねえ、川の上沢山飛んでるねえ。あれはきっとどざえもんが浮かぶよ」

と、センダがにんまりと趣味の悪い笑顔を頬に浮かばせる。センダはたまに年寄りみたいなことを言う。そういえば子供の頃どざえもんてドラえもん的な何かだと思っていたなあ。「ドラえもん的な何か」が何であるかまでは想像していなかったけれど。

土手で秋に見かけた黒白の猫を探すが見つからない。僕もセンダもがっかりしてベンチに座り込む。

「まあ、野良だからね。どっか近所の家々まわって胃を満たしている最中かもしれないし」

「ちがうよ、きっと東北の冬を越せなかったんだよ。あいつはもう白い骨になって川底に沈んでるんだ」

センダは急にどうしようもなく暗い後ろ向き思考になるときがある。でもそれは露悪趣味なデマカセの言葉だって僕は知っている。黒白猫の行く末を心底気に病んで、突っ張っているってだけだってことも僕にはわかっている。

「そうだね、あいつはちびだから魚に食われたかもね」と言ったら、おでこを叩かれた。

きん、と張り詰めた冬の空は高く遠い。途轍もなく巨大な硝子鉢に閉じ込められたみたいだ。クリスマス過ぎにプラチナ色になったセンダの髪の毛は、年が明けてからオリーブがかった砂色に変わった。この色にしてからピンクが似合わなくなったとセンダは嘆くのだけれど、そもそもピンクの服なんて持ってないんだ。本当にいい加減なんだ、センダって。

枯葉色のセーターの下に、足に張り付くような黒のパンツを穿いたセンダはジャコメッティの作る彫像みたいだ。紺色のダッフルコートを羽織ってぐるぐると紫(ヘリオトロープだそうだ)と緑(ジャスパーグリーンだってさ)の毛糸で編まれたあきれるほど長いマフラーを巻きつけている。編んでいるうちに止まらなくなったんだってさ、手が。

びゅうびゅうと風が速い川の流れのように北から南へと走り去る。蝉ちゃんにも貸してあげるよ、と僕の首にマフラーを巻きつける。二人で巻いたってまだ長いんだ、このマフラー。

川はサイダー瓶に入っているビー玉みたいな色した水の色。そこにちゃらちゃらちゃらと音でも立てそうな銀色と金色が反射していて、地味に綺麗だ。対岸の土手に散歩する犬とおじいさん。犬はリードをはずしてもらって、もうどうしようもなく嬉しくってなにしていいのかわっかんない、って感じにはしゃいでいる。おじいさんは煙草を吸いながらそれを見ている。ジョギングする女の人。自転車に乗ったおばさん。日曜日の昼下がりを皆ゆるゆると過ごしている。

缶コーヒーのプルトップを弾きながらセンダは口笛を吹いている。ああ、これ去年の夏にも聴いたな。Holiday、だ。センダは口笛の続きみたいに話し出す。

「大学んときの先輩がさ、ドクターペッパー買ったらプルトップじゃなくて蓋のついた缶が出てきてさ。その中からロゴ入りのちっちゃい櫛と百円玉一枚と十円玉一枚出てきたんだって」

「へえ」

「おっしゃれー、て思ったなー」

「うん」

「あたしその先輩好きだったな。ジム・モリソンに似てんの。日本人なんだけどさ」

すげー好きだったなー、と全然そうでもなさそうな声でセンダは言う。僕がすげー好きだった女の子っていたっけな、と考える。ああ、四年生の時おんなじクラスだったキノシタはすげー好きだったかも。

「すっごい好きになっちゃうと、逆に遠くなっちゃうんだよなあ。やんなっちゃうよ」

とセンダは今度はすごくそう思っていそうな声で言った。

遠くなっちゃうんじゃなくて、それはセンダ自身が遠ざけてんじゃないの?って聞こうと思ったけどやめた。子供になにがわかんのよ、なんて言うに決まっている。確かに僕はセンダより年下だけどさ。

「僕は好きになったら遠ざけたくないけどな。頑張って近づきたいけどな。怖くてもさ。壊れてもさ」

とだけ言った。壊れる心配ばかりしている人生なんて、つまらなそうじゃないか。センダは見かけによらず臆病だから。

そーだね、怖くても壊れても近づかなければなんも始まらないもんなー、とセンダが勢い良く伸びをしたので、僕の首に巻かれたマフラーがぎゅっとしまって苦しくなった。

「蝉ちゃんかっこいいぜ、いかしてんなー」と笑う。「でもさ、そんなことよりそのガサツなとこを直したほうが恋愛につながるんじゃん」と言ったらまた殴られた。

なんだよ、やるか、とファイティングポーズをとった僕の肩越しにセンダが目を走らせ「あ!」と叫ぶ。

振り返るとかさかさに枯れた春紫苑の茂みの間から黒白猫が顔を出していた。

「ゴイシ、久しぶり」と駆け寄るセンダを銀杏色の眸で見つめながら、人間からの勝手な名づけも慣れたものなのか、碁石と呼ばれたその猫は突然の命名にも途惑うこともなく「にに」なんて柔らかく鳴いてセンダの足元に擦り寄った。