風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

ばらばらと散らばる記憶の欠片

子供の頃と言えば、狭い六畳間が親の寝室兼居間で、マットレスだけのベッドに箪笥にテレビ(もらいもん二台)とピアノと卓袱台置けばもうぎっしりで、おまけにテレビの横にはコロンビアだかビクターの古くてでかいオーディオ。ぎゅうぎゅうとした空間で育ったが故に私は背が小さい(嘘)。オーディオは中学に上がる頃壊れてしまったけれど、それまで良く聴いていた。CDなんて、なかったし。買う余裕もなかったし、ラジカセのテープは父親のものばかりでつまらなかった。母の持ち物であるレコードたちは、ビートルズストーンズにドアーズにCCRやらグレイトフルデッドデヴィッド・ボウイ(love!)やS&G、昔の映画のサントラ、ボブ・ディラン、etcetc。なにしろ50、60、70年代を生きてきた人間だから音楽の宝庫だ。母は働くマザーなのでレコードを回すのは朝と夜と休日。Dig a ponyとRuby Tuesdayが好きだった。あとFeeling Groovy。オーディオ横にある棚の上に座って、窓を開けてその手摺によりかかり、空想ばかりしていた。手摺の向こうは海になったり、砦から見晴るかす荒野になったりする。或いは宇宙に。そんなときに流れるサイモンとガーファンクルなんて、なんて美しい声なんだろう、と子供心にうっとりとしていた。空気みたいだし光みたいだし風みたいだ、と。

ソノシートの昔話もよく聴いた。しかし聴くよりもその透明な赤だの青だの緑だのを透かして見るほうが好きだったから、すぐに駄目にしてしまった。

私が三歳くらいの頃、働くマザーである母が勤めていたのは白木の木製模型を作るデザイン会社で、よく私を連れて通っていた。製図台に向かう母の椅子の横で、私の遊び道具は木の切れ端や大鋸屑やトレーシングペーパー。たまに時間があると板の切れ端を電気糸鋸で猫の形や恐竜の形にくりぬいたものを作ってくれた。大鋸屑の匂いに包まれてピクニックの珈琲牛乳をいつも飲んでいた。未だに材木屋の前を通る時や、木の匂いがすると、珈琲牛乳が無性に飲みたくなって困る。

そこの会社の人を、よく覚えてはいないのだけれど、たまに完成品を私にくれたのは男の人だった気がする。ライトフライヤーよりも、リリエンタールの模型飛行機が好きだった。完成品はニスが塗られ、凧糸が張られている。まるでそのままふわりと風に浮かびそうなほどエレガントな形だ。骨組というのは美しい、と、言葉ではなく感じたものだ。母がその会社で何を担当していたのかは聞いたことがないが、家には飛行機と恐竜、船の模型が手付かずの箱のまま沢山置いてあった。