風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

手紙「冬の夜」

親愛なるあなたへ

あなたの手紙からは、海の匂いがするのね。波の音も。

これだけ遠く離れているのに、まだ手紙が届くというのが私には大層驚きです。それともあなたが言うように、案外私たちは近づいているのかしら。いつの日か私もこの目で人魚という生き物を見ることができるのかしら。

昨日、灰熊のユーシーがとっておきの蜂蜜を届けてくれました(あなたが言うところの「人の好い間抜けな熊」よ。ユーシーが聞いたなら、きっとあなた八つ裂きにされるわ)。眠る森に棲む女王蜂は年に二回、灰熊族の長老に黄金色のそれはそれは上等至極な蜂蜜を納めます。そうして他の熊族から守ってもらうのです。もう何百年も守られ続けてきた約束事。

ユーシーは雪原に独りで住んでいる私のことをいつも気遣ってくれます。優しい熊を隣人に持つなんて、運が良いと思いませんか?有難いことです。

夜になると、一層空気は冷たさを増し、ぎゅううっと硬く夜の青にねじ込まれるよう。カーテンから外を覗くと、雪は降っていないようです。今のうちに雪林檎の実をもいでこなければ。ユーシーへのお返しに、檸檬入りの蜂蜜パイと、雪林檎のジャムを作るのです。

分厚いボアの裏地がついているエンジニアブーツを履いて、ガーゴイルが編んだというニットコートを羽織ります。一段ずつ色合いの違う青で編まれているこのコートは夜空に浮かべたらきっとその色に紛れてしまって見えなくなるのじゃないかしら。それから菫色の手袋をはめて、赤珊瑚色のショールをぐるりと頭から巻いて、戸を開ける。

途端、潤沢な夜の匂いが私を包みます。まるで深い海の底のように濃密で冷たい夜。耳を澄ますと、硝子がきんきんと微かに触れ合うような星の音が空から落ちてきます。鈴の音にも似ているようなその音。いつも私はうっとりと目を閉じてしまう。でもいつまでもぼんやりしていたらたちまち凍死してしまうような雪原です。さくさくとお砂糖のような雪を踏みしめながら雪林檎の林に急ぎます。月と星の光が降り注ぐ雪の色は、青玉髄を砕いたような淡い青。きっと夜の深い青がしんしんと染み込んでいるのでしょう。林はすぐそこです。

雪林檎の樹は丁度私の背丈くらいです。だから収穫はとても簡単。透き通る赤い皮に包まれた実は、一つ一つが雪洞のようにふわりと黄色い灯りをまとっています。それはまるで燃えるさそりの目のように夜を灯します。山葡萄の籠に三十個ほど。これで大きな瓶十個ほどは作れるはず。籠はぼわぼわと橙に光って丸い洋燈のようです。

来た道を戻る時に、しゃりんしゃりん、と空に綺麗な音が響きわたりました。見上げれば流星群。たなびく銀の尾が空に舞い、しばらくすると雪の粉のように光る銀色が私の手のひらに落ちてきました。今夜はこれを枕の下にしいて眠りましょう。きっと星の夢が見られるはず。

冷たい夜の中から暖かい部屋に戻ると、頬の内側や耳朶やかじかんだ指先に、血液の流れるのを感じます。じわじわと、どくどくと、温かい血が流れるのを。

雪林檎の皮をするすると剥きながら(それにしても三十個もの林檎の皮をむくのがどれだけ重労働なのかあなたにわかるかしらね)、オーブンを気にしつつも、考え事。宇宙の車輪について考えます。私はどうして宇宙の車輪なんて言葉を思い浮かべたのか。音の無い空間でまわり続ける美しい車輪。そのイメージは私の中でどんどん膨れ上がり、目眩がしそうなほどです。あなたも私も全てのありとあらゆる命は、その回転によって動かされているのじゃないかしら。

なんて、他愛も無い空想ですね。

いまや部屋の中は蜂蜜の焦げる金色の香りと雪林檎の冷たく甘いルビー色の香りでいっぱいです。ユーシーは喜ぶでしょう。あの人は私の作る蜂蜜パイが大好物だから。ジャムはきっと雪玉のなかに入れてキャンディみたいにするはず。ここらあたりの雪は薄荷のように淡くすうっと甘いのです。ああ、私もなんだか雪を食べたくなりました。窓を開けて軒に積もった雪をコップに一杯すくいます。淡い雪はすぐに液体に変わり、枕の下にいれて眠るつもりだった流星の粉をその中に落としました。銀色の粉は薄青い水にぱちぱちと弾け、ごくりと飲み干すと私の眸からは美しい星の残像がきらきらと零れ落ちました。それはほんの一瞬で消えてしまうけれど、その美しさに震えた心は明日の朝まで私を心地よくさせるでしょう。

さあ、山盛りの林檎の鍋を火にかけます。本当のことを言うと、私は果物を煮る匂いが好きではないの。あの、もわりと鼻にまとわりつくお酒のようなもったりとした甘い匂いが大嫌い。でも煮詰まった後、ひやりと冷えたとろとろのジャムの匂いは大好き。おかしいですか?果物の煮える匂いは、なんだか生きている匂いがして苦手なんです。

変なことを言う、と笑うあなたの顔が見えるみたい。

窓の外ではまた雪が降り出しました。明日の朝は晴れるでしょう。もしかしたらダイヤモンドダストが見られるかもしれない。あなたにも見せてあげたい。

何光年も離れてしまったとしても、私はいつだってあなたのそばにいます。

Rより