風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

手紙「夏」

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手紙ありがとう。相変わらずこちらは夏だ。君の朝は白で銀で灰色だろう。俺の朝は青で金でエメラルドといったところか。

「宇宙の車輪」とは君らしいと思った。どうしてそう思うのかなんて聞かないでくれ。俺だってよくわからない。でもその言葉は君によく似合う気がする。混沌とした君の頭の中には美しい宇宙の車輪が浮かんでいるに違いない。

それにしても雪の結晶とやらをこの目で実際に見てみたい。硝子に似ているのだろうか。車輪と言うくらいだから円いのだろうか。

今朝はまだ空に月が残っていた。擦れたスタンプみたいに。水平線から顔を出した太陽は、海の青に溶けるような金色の道を波打ち際にまで伸ばしている。俺の家には窓がない。防ぐべき寒風はここには存在しない。柔らかく湿った南風が頬を撫でるだけだ。スコールの時は椰子の葉で織った即席のカーテンをつける。よしんば部屋の中が濡れたとしても太陽が顔を出せばものの二分ですべて乾く。嵐が来るときは家の中のものは事前に洞窟に避難させる。家はもちろん嵐とともに飛ばされるが、また作ればいい。

窓から見える海は浅瀬からミントジェリーの色、アクアマリン、セレスライト、ラピスラズリと色を目まぐるしく変え、水平線は夜の青に近い。この海の色をすべて言葉で表そうとするなら、千年かかっても終わらないだろうな。毎日海と空を眺めて暮す俺の眸は青に染まった。本当に、まるでビー玉みたいな青に。君に見せてやりたい。

ハンモックを降りて、ココナッツコーヒーを淹れる。この島の土で焼いたマグカップにたっぷりと注ぐ。甘ったるい香りが潮の匂いに混じる。

レコードに針を落とすと音は泡のように空中に浮かびあがり、シャボンのように虹色に弾ける。朝の光の中でそれはダイヤモンドの粉のように美しい。吊り椅子に座り、シャボンの協奏曲を耳で目で、愉しむ。

本棚から一冊本を取り出す。「時計の中の星座」という、推理小説だ。十二星座を殺した時計職人の物語。いかれた連続殺人鬼。どうやら君の住む場所で本は嗅覚と聴覚に訴えかけてくるようだが、俺の住むこの島で本は視覚にのみ訴えかけてくる。ページを開くごとに時計の針の不穏で妖しく鋭い音や狡猾で残忍な時計職人の横顔、十二星座の苦悶の表情や美しいその光の点と線といったものが紙の上に浮かびあがる。どうせなら雪の本があればいいんだが。

それでも俺は(君も知っているように)読書というのがそれほど得意じゃあない。海を眺める方が好きだ。この島で一番の早起きは今年二百歳になる極楽蝶(君のジャングル本に出てくる鳥ではなくてね)だが、人魚たちもまた負けず劣らず早起きだ。朝の淡い空の中をゆったりと飛ぶ極楽蝶と、飛沫をあげて跳ねまわる人魚の群れは美しい。その光景の方が物語よりも数百倍もドラマチックだ。

そろそろ腹が減ってきた。フライパンを火にかけてベーコンエッグを作る。もちろん両面焦がしたあれだ。野生の豚を珊瑚と貝殻のチップでスモークした俺の自家製ベーコンは格別だぜ。

食欲がないという君の身体が心配だ。俺のフレンチトーストを食べさせてあげられればいいのにな。ベーコンエッグを炒めたフライパンそのまま使って作るんだ。それを花の蜜でびしょびしょにして食べる。しょっぱくて甘くて脳みそが痺れそうなくらいに美味い。雨の森に咲く霧の花から採取した特別な蜜だ。君んとこの人の好い間抜けな熊がため込んだ蜂蜜よりも数段美味しいはずだ。

レコードを止めて、ラジオを点ける。相変わらず世界は広がり続けているらしい。ひと月前よりもノイズが多くなった。この電波だっていずれ届かなくなる時が来るのだろう。昨日まで見えていた隣の島が次の朝には消えているのだから。それでもきっとこの海は美しいままだろう。

君のいる場所はいまどの辺りまで遠ざかっているのか。いや或いは歪みによって案外近づいているのかもしれない。そうだとしたら俺たち、雪の降る海が見られるかもしれないぜ。

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