風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

トラヴィス・テレヴィジョンの後悔

ラヴィステレヴィジョンの一日は、同居猫のボーダレスにコーヒーと揚げたてのオレンジチョコレートドーナッツを彼のお気に入りのファイヤーキングのマグカップと水色とピンクのストライプの皿(魚の形!So CUTE!)に用意することから始まる。ストライプの皿って言ったって、縦に置きゃボーダーだぜ、と言ったら強かに引っかかれたことがある。ボーダレスは言った。「さかなが立つかよ。クソガキ」

ボーダレスは赤と白のしましま猫。トラヴィスはこの猫に対して同居猫以上の感情は抱いていなかったが、まあそれ以下でもなかった。彼らはとてもうまいこといっていたと思う。お互いに干渉しすぎない、かと言って必要以上にそっけなくもない。トラヴィスは揚げたてのドーナッツを猫舌のボーダレスの為に手早く速やかにかつ味を損なわずに冷ます術を心得ていたし、ボーダレスはいかしたジャケットのドーナッツ盤を見かけるとレコード狂のトラヴィスの為に、鮮やかに速やかにそれはそれは華麗にかっぱらってきた。

気持ちの良い夏の夜はテラスに出てラジオを鳴らし(あるいはポータブルレコードプレイヤーを。あるいはへたっくそなトラヴィスのギターを)、くだらないゴシップなんかをあーでもないこーでもないと話しながらワインを飲む。雪の降る夜は窓もカーテンも閉めてココアを飲んでソファで眠る。トラヴィスの腹にボーダレスが乗っかって。テレビはつけっぱなしで。

二人は、人間と猫にしては、案外うまいこといっていた。僕から見てもね。

歯車が狂い出したのは、トラヴィスがガールフレンドのシビルを連れ込んできてからだ。ふわふわにカールした髪の毛をシーグリーンに染めたイカレた女。イカレてるけどちょー美人。肌なんかつやつやに磨かれた象牙みたい。少し斜視ぎみの目はブルーとパープルのオッドアイで、素晴らしく神秘的に見える。トラヴィスはずっと彼女に夢中だった。

一方、シビルはそれほどトラヴィスに夢中というわけではなかった。彼女がトラヴィスの中で気に入っているのは「男にしてはセンシティブで綺麗な顔立ち」と「チェルシーホテルっぽいお洒落なお部屋」だけ。トラヴィスの「年齢にしては幼い」ところや「子供好き動物好き」なところ、「優しすぎて優柔不断」、「決して不良ではないが、善人である、とも言い切れないけれどまあイイやつの部類」であるところなんか、彼女は全く気に入っていなかった。おそらくシビルはトラヴィスの「顔」と「部屋」(それとそこそこに人気のあるDJであること)以外全然好きじゃなかった。トラヴィスを形作っているもの全て、彼女の気には入ってなかったね。

そうして中でもシビルが最も気に入らなかったのは同居猫のボーダレスだ。赤と白のしましまなんて気持ち悪いわ、緑と白だったらまだ許せるのに。彼女は爪を噛みながらそう思っていた。それにあいつはいつもあたしのこと馬鹿にした目で見るんだもの(それは確かに彼女の思い違いじゃない。ボーダレスは「あんなとんちき女に捕まるようじゃ、トラヴィスもいよいよ脳みそが腐っちまったらしいぜ」と苦々しげに言っていたから)。

だから何回目かのセックスの後(このセックスだって彼女はたいして気に入っていなかった。じゃあ彼女は一体なぜトラヴィスを選んだんだろう。全く女ってのは不可解極まりない)、綺麗な柔らかいふくらはぎをトラヴィスのがりがりに細いふとももにすりつけながら囁いた。

「ねえ、トラヴィス。あんたのあの気持ちの悪い猫を追い出してよ」

ラヴィスはびっくりした。気持ち悪い?あんなにイカシタしましまが?そうして不愉快になった。この女はいったいぜんたい何を言っているのかわかっているんだろうか。たかだか数回セックスしただけで僕の家から僕の同居猫を追い出せって?あいつはなんだかんだ言ったって俺のギターが好きなんだぜ。

シビルはトラヴィスの気持なんかお構いなしに(あたしのお願い、きけないわけないわよね)とでも言うように、魅惑的なオッドアイを自信満々にきらきらと光らせている。

ラヴィスは床に散らばっているシビルのストッキングやらミニスカートを窓から放り出したい気分になった。

でもそれなのに、次の瞬間トラヴィスの口からため息とともに飛び出した言葉はこれだ。

「わかったよ、ダーリン」

ラヴィスの心は急速に冷めていったにもかかわらず、シビルに従う言葉が出たのはなぜなのか。彼自身その愛情の冷め方が急速に過ぎ、思考が感情に、あるいは感情が思考に?いずれにしろ追いつかなかったんだろう。それにトラヴィスはまだシビルに拘ってもいた。彼女の美しい脚や魅惑的なオッドアイに。そしてそれがまだ彼女を愛している証拠だと思い込もうとした。

拘りは愛とは全く別物なのに。

ボーダレスはもちろん憤慨した。

「冗談じゃないぜ、トラヴィステレヴィジョン。あのいかれ女のせいで俺は毎朝のコーヒーとドーナッツを失うのかよ」

それに夏風の気持ちの良いテラスも、寒い夜の喉が焼けるみたいに甘いココアも。へたっくそなトラヴィスのギターも。

なんてことまでは猫のプライドにかけて口にすることはできなかったんだけど。ちっぽけな猫の額に落ちてきたのは夜の穴にはまるようなやりきれなさだった。

ラヴィスが言ったのは一言だけ。I'm so sorry

その言葉を聞いたボーダレスは猫目をきらりと光らせて、忌々しげにmeoooowwwwと唸り声をあげ、窓からひらりと飛び降りた。彼は夜の中へと消えた。

ラヴィスは耳を疑った。Meowだって?まるで普通の猫じゃないか!ボーダレスの言葉が聞き取れないなんて。俺は何か、本当に大変な間違いを起こしたんじゃないのだろうか。

だけど後悔しても時はすでに遅い。裏切り者の耳には、猫の言葉は届かない。それにトラヴィス、君のもとにボーダレスが帰ってくる日は永久にこないんだ。君たちとてもうまくいっていたのに。残念だよ、とてもね。

いまさらながら自分の失態に気が付いたトラヴィスは曇り空のように落ち込み、飽きっぽく浮気性なシビルはさっさと出て行ってしまった。

じゃあなぜボーダレスは出て行かなくちゃならなかったのかって?

さあね。でも人間なんていつも勘違いのすれ違い、後悔ばかりの生き物だろ?

ラヴィステレヴィジョンはストライプの魚の皿を決して縦に置いたりしない。けれどもボーダレスはもう二度と帰っては来ない。