風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

female side 2

着替えて店を出て、途中うっかり本屋に寄ってしまったのでプロントに入るともうバータイムになっていた。照明を落とした店内で、しかし彼女はすぐに見つかった。テーブルの上には空のカクテルグラスと生ビールのグラスが半分ほど減った状態で置かれていた。

「ごめんね、待ったでしょう」

マフラーを取りコートを脱いで椅子に腰かけると、彼女はじろりと私を睨んで「もうお腹ががばがばです」と言ったのでなんだかおかしかった。ウェイターに生ビールを注文して、「なんか食べる?」と聞くと「鮭とば」と言う。鮭とばマルゲリータごぼうスティックを頼んで煙草に火をつけた。

「あ、そうだ。これ食べる?」

バッグにマカロンが三つ入っていることに気がついて、そう言った。シトロンのマカロン。デパートの地下でたまに買うやつだ。店の名前は覚えていないけれど、週に一度は必ず行くので、よく会う店の女の子なんかは「いつものやつですか」と聞いてくる。ショウケースの中にはピスタチオやフランボワーズなんかもあるけれど、私はいつもこのレモンイエローのシトロン味を選ぶ。冒険は苦手だ。さくさくもっちりした生地に挟まれたレモンパイのフィリングのような冷たいクリームがよだれがでるほど美味しい。マカロンの中にはショコラなんていうのもあるけれど、これはフランボワーズ以上に私の興味をひかない。マカロンのあの歯触りには、果実の酸味がベストなのだ。

カロンを差し出すと、彼女は変な顔をして「ビール飲むのにお菓子食べるんですか?」と聞いてきた。

私が「ジュース飲みながらパスタ食べる人だっているんだから別にいいんじゃない。私はそっちのが断然気持ち悪いけど」と言うと、もっと変な顔をした。

二人揃って浮かない顔で申し訳程度にグラスを鳴らし、マカロンを噛んだ。窓の外は濃い藍色の影に満ちていて、薄荷飴のような街灯と水槽のようなショウウィンドウだけが光っている。影と、光と、歯に沁みるような冷たいシトロンの甘さ。この時間帯はまだ会社帰りの勤め人の姿もまばらだから、夜よりも一層寂しい感じがする。

窓の内側にいる私たちは銅色の明かりに包まれて沈黙している。面倒くさいのでマカロンをビールで飲み下してこちらから話しかけた。

「ええと、あなたって小林君の友達よね」「そうです。一度お会いしました。武本玲です」「ああ、私は」「知ってます。ハギタニヨウコさんですよね」

レイちゃんはキャンディをがりりと噛み砕くように私の名前を口にした。この子が笑うところを見てみたいな、となんとなく思った。

「わたし、ハギタニさんに伺いたかったんです。こんなこと無関係なわたしが聞くことじゃないし、こういう風に勝手にあなたのところに来て呼び出したりするのも非常識なことだってわかってますけど、でも」

「でも、どうしようもなかったんだよね?あなた好きなんでしょう?小林君のこと」

次の瞬間、彼女の眸はうるうると水の膜を張り、私は思わず溜息がでてしまう。この子はどうしてこうも素直に物事に反応してしまえるのだろう。つくづく羨ましい。それでも涙は眼球を覆っただけで零れ落ちてくることはなかった。レイちゃんは悔しそうに言う。

「…違います。亮介はとても大切な友達で、心配なんです。だってハギタニさん結婚してるじゃないですか?亮介は本当にばっかじゃないのってくらいあなたにのぼせてて、傍目で見てても情けないくらいで。不安になったんです。亮介はそんなになってるのに、じゃああなたは本当に亮介のことが好きなのか。旦那さんと同じくらいに大切に思っているのか、確かめたくなったんです」

ウェイターが鮭とばごぼうスティックをテーブルに置いた。鮭とばを一本つまんでライターで炙り、彼女の方へ差し出した。

「こうすると煙たい味して美味しいよ」

レイちゃんはため息をつく。私は自分の分の鮭とばを炙りながら言った。

「私ね、小林君とはもう別れるつもりだから。安心していいよ」