風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

雪の如く記憶の降る(応接間)

Hさんの淹れてくれる珈琲は、一番おいしい。彼はいつも珈琲とキャビンの匂いがした。果物をむいてくれるのもいつもHさんだった。ペティナイフでするすると林檎や洋梨をむいてくれる。オレンジもカットして食べさせてくれる。甘栗をむいてくれる。それは朝の食卓であったり、夜の応接間であったり色々だ。誰かにむいてもらった果物はとても美味しい。それは十分に甘やかされた行為だからだろうか。9歳の時には絶対に果物の皮をきちんとむいて差し出してくれる男の人と結婚しようと思っていた。しかし残念ながらそれ以降私は男の人に果物をむいてもらったことがない。

夏になると大量の巨峰でジャムとジュースを作った。手のひらをべたべたと葡萄色に染めて、木べらについた作りかけのジャムの熱々を舐めるのが好きだった。巨峰が夏蜜柑の年もあったし、冬は林檎だ。ダイニングでお菓子やジャムを作っていると、勝手口から知り合いの人が入ってくることがある。袋一杯の梨や大根を持ってくる人もいれば、そのまま上がって、紅茶だけ飲んで何をしに来たのかさっぱりわからないような人もいる。

ある時、今朝海で採ってきたからといってバケツ一杯の牡蠣をくれた人がいた。大喜びで鍋にしようか焼こうかフライにしようか、でもとれとれだから生でも頂こう、なんてみんなで悩んでいると、誰かが笑いながら「でもこれって立派な密漁だよ」と言った。

ダイニングの隣は十五畳ほどある洋間だ。ダイニングから続き部屋になっている。入って正面に庭に続く、一面に取られた大きなガラス戸。入って右手に本棚とアップライトのピアノ。左手には大人の腰の高さのガラス棚と大きなテレビ。木目調の壁には大きな絵がかかっていた。天井には鈴蘭の形のようなシャンデリア。部屋の真ん中に置かれた木製の円いテーブル。ピアノの脇には小さな木のドアがあって、和室前の縁側に続いている。手入れのあまりされていない芝生の庭は家の敷地と同じくらい広く、ぐるりと大きなブナの木が何本も植わっていた。夏にはバーベキューや花火をする。冬は一面、綿を敷き詰めたかのように真白く光り、猫の足跡が点々とついてる。

夏、うっかり窓を開け放しておくと、夕方には天井一面蜻蛉だらけになっていたりする。カーテンの隙間から蝉の声が聞こえる。そのくらいならまだいいが、どこから入ってくるのか、夜みんなでトランプをしている時に蝙蝠が狂ったように飛びかかってくることもあった。

そう、夜はみんな応接間に集まる。橙色の明かりの下、テーブルを囲み珈琲を飲む。あるいは蕎麦猪口に番茶を入れる。Hさんが果物を剥いてくれることもあるし、ケーキやクッキーといったお菓子の時もある。みんなでトランプをすることもあったし、木製のテーブルは伸ばすと真ん中に板をはめ込むようになっていて、長い楕円形になったそのテーブルの上で卓球大会が開かれることもあった。かこんかこんと暢気な音が部屋に響く。小学校に上がるまで、私は卓球というものは楕円形のテーブルで行うものだと思っていた。

あるときみんなで映画のヴィデオを見た。ラストエンペラーだ。大人たちはみんなテーブルの下に潜り込んで絨毯の上に寝そべっていた。Mちゃんは安楽椅子に寝っ転がって。私はビーズで傘を作っていたから椅子に座ったまま見ていた。気がつくとみんな眠っていた。みんな机の下だから途中までずっと気がつかなかった。

テーブルの下に潜り込むのも、テレビを見ながら眠ってしまうのも、本来であれば子供の私のはずなのになあ、と思いながら溥儀が子供と話すシーンを見ていたのを覚えている。