風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

雪の如く記憶の降る(朝食)

濁ったワイン色の絨毯が敷き詰められた広い部屋は、ざらざらとした手触りの薄い鼠色に砂粒のような金色や銀色がまばらに散った壁。木製のダブルベッドが二つ、丁度同じサイズのベッドが置けるくらいの間隔でおかれていて、頭の方には渋い黄緑色のカーテンのかかった大きな窓、足の側には作り付けのクローゼット。ドアの対面はベランダのガラス窓が天井まで大きくとられていて、銀色がかったベージュのタフタのカーテンがかかっている。天井の二列に並んだ蛍光灯。クローゼットの前のテーブルに置かれた木目調の大きなブラウン管のテレビ。そのテレビがついていることはほとんどなかったけれど、私はよく大きなベッドの上でとび跳ねながら、その灰色の画面に映る、とび跳ねる小さな自分の姿を見ていた。母と私がベッドに寝て、E(母の友人であるW家の奥さん。YちゃんとMちゃんのお母さん)は二つのベッドの間に布団を敷いて寝る。冬は布団の中に電気毛布が入っていて、いつも消さずに眠ってしまうのに、朝になるときちんとスイッチが切られていた。今思えばタイマーだったのだろう。

玄関を上がって左手にダイニングがある。ダイニングの手前に洗面所。ダイニングの入り口は磨り硝子が嵌め込まれた木の格子戸だ。その格子戸の手前、洗面所の前に古い洋風の鏡台が置いてあった。夜はその大きな鏡を覗くのが怖く、いつもお風呂に入るときはそちらを見ないように目をそらして洗面所へ入った。猫足の大きな鏡台にはもう誰も使っていない香水瓶やパウダーが置かれていた。

ダイニングに入ると左手に仔馬のような茶色の食器棚、右手には物置。正面に大きなダイニングテーブルが置かれていて、テーブルの右手には雪国には欠かせない大きな煙突のついたアイボリー色のガスエアコン。左手には蚕豆色の丸みのない、アメリカの家庭にありそうな大きな冷蔵庫。冷蔵庫の左わきに小さな勝手口が一段下がったところについていて、勝手口はガレージにつながっている。勝手口を上がったところがガス台と鈍い銀色の古いシンクだ。流しの手前に置かれた白木の棚には一升炊きの炊飯器がどしりと置かれていた。

W家の朝はお正月以外、だいたいパンと珈琲で始まる。イングリッシュマフィンやかたい胡桃パン、普通の食パン、マーマレードやブルーベーリージャムが入った白い小皿、レバペースト、白いバタ、細かく刻んだピクルスの入ったポテトサラダ、オリーブオイルと塩胡椒しただけのキャベツの千切り、コーンポタージュ、ハーブ入りのソーセージ、焼いた厚切りのハム、とろとろのスクランブルエッグ、硝子のピッチャーに入ったオレンジジュース、あるいはグレープフルーツジュースや林檎ジュース、牛乳。食後にはW家の主人であるHさんの淹れてくれる珈琲。普段、家では和食が多いのでW家の潤沢な洋風ブレックファストは子供心に非常にわくわくした。

子供の私はお誕生席に子供の椅子で座る。W家の長男長女であるYちゃんもMちゃんも、私よりも8歳も6歳も年上だったから朝は出かけているか、昼まで起きてこないことが多かった。あるいは両方とも寮に入っている時期もあった。子供椅子に座って食事の支度をする母とEを見ている。白いテーブルの上に卵やらソーセージやらが綺麗に並べられて、焼きたてのパンが籠に盛られていくのは、見ていて本当に楽しい。スープが出てきたくらいになると、母に「Hさん呼んできて」と云いつけられる。磨り硝子の戸を開けて和室で眠っているHさんを起こす。「朝だよ。ご飯だよー」

ダイニングに戻ってしばらくすると、洗面所の方からトイレの水を流す音と水道の蛇口から勢いよく水の出る音がする。重たい硝子戸を開けて、Hさんが入ってくる。そうして必ず子供椅子に座る私の脇腹をくすぐって、「おはよう」と言うのだ。

ダイニングの床は冷たいビニールタイルだった。焦げ茶色のビニールタイル。夏は足の裏がぺたぺたとくっついて、冬はスケートリンクのように冷たくて辟易したけれど、私は今あのいまいましいようなビニールタイルの感触がひどく懐かしい。