風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

雪の如く記憶の降る

カーテンを開けると、夜のうちか明け方に降ったのか、山は粉砂糖を振りかけたように真白くなっていた。空は分厚い雲を絨毯のように敷いていて、曇った蛍光灯のような色をしている。子供の足が冷たいので靴下を履かせた。

夫には珈琲を沸かして、子供には温めなおした小松菜と豆腐の味噌汁と唐揚げの残りを細かく切って食べさせる。

子供が積木を積んでは破壊している横で歌いながら本を読んでいると(歌っていてあげないと怒るのだ、彼は)、フローリングの床からしんしんと寒さが足を伝わってきて、気がつくと窓の外は雪になっている。

ベランダから見る雪は下からふわふわと浮きあがってくるように見える。水槽の泡みたい。そうしてその泡のように私の中に埋もれた記憶がダムの決壊のように氾濫する。

雪といえば新潟。子供の頃、連休と言えば新潟に行っていた。燕三条に母の友人がいて、私が生まれる前から家族ぐるみの付き合いをしている。休みはいつもそこのおうちのお世話になるのだ。

W家はいかにも70年代の住宅の佇まい。ほとんど閉められたことのない門扉の内側には舗石の敷かれた道。紫陽花の株やさつきや躑躅が両側にわさわさと植わっている。金木犀の樹もひっそりと立っている。正面から見て丁度左側のガレージにも紫陽花が植わっていて、車が出る時に枝がこするくらい繁っていた。

アルミ枠に網入りガラスがはめ込まれた玄関扉。こちらもほとんど鍵をかけられることがなかった。いつも近所の人が「ごめんくんなせや」と扉を開けて顔を出した。玄関にかけられたくすんだような風景画。下駄箱の上のドライフラワーと玉蜀黍の皮で作った人形(岩手に旅行に行ったときに一緒に買った。うちにもある)は綺麗に掃除してあってもどこか薄く膜を張っているかのようにぼやけた輪郭をしていた。玄関は夏涼しく、冬は冷蔵庫のようだ。

玄関を上がって直線の廊下を突き当たった右手には仏壇の和室がある。突きあたって左に曲がるとがたがたと鳴る硝子戸のある縁側がある。縁側の内側には十畳ほどの和室がある。ここではW家の長男がよく中学からの幼馴染と麻雀をしていた。夏は窓を開け放すと蝉の声が滝のように流れ込んでくる。冬は扉を閉めていても寒い。炬燵に入ってストーブを焚いていても頭のてっぺんだけがいつまでもひんやりと凍みるように寒いのだ。

玄関を上がってすぐ右手にある五畳ほどの洋室は麻雀長男の部屋だ。Yちゃんは地味だけれどもぞくぞくするほどユーモアのある人だ。私は今までYちゃんほど面白い人にあったことがない。

玄関の左わきにある階段はコンクリートの上にじかに絨毯を張っただけのつくりで、冬は靴下を二重にしていてもつま先立ちで昇りたくなるほどに冷たくなる。急な階段は細い鉄の棒に木の手すりが付いているだけで、子供のころは落ちてしまうのではないかという恐怖にかられた。それでいつも両手をついて動物のようにそろりそろりと昇っていた。今でも緑がかった黄土色の絨毯のざらりとした硬くてひんやりと冷たい感触を覚えている。

階段を上がると左手にガラス窓。廊下にはヘルメットやら物がたくさん置かれていて座ることのできない大きなソファと、そのソファの正面に大きな本棚が備え付けられている。本棚はまるで古本屋のそれのように黄ばんだケースに入った全集や黴臭い布張りの分厚い本がぎっしりと詰め込まれている。一冊取り出すのにも力がいる。

私はこの窓から木に雷の落ちるのを見たことがある。窓の向こうは道路を挟んで向かいは広い空き地で、空き地の向こうにはここと同じくらいの大きさの一軒家が立っていた。その家の前にある大きな木に雷が落ちたのだ。夏の終わりで嵐が来ていた。二階に上がってソファの上の荷物を少しだけどかしてその上によじ登り、一人で洗車機の中のような窓の外を見ていた。暗い空の隙間から稲妻がびかりびかりと落ちていて、それはそれは綺麗だった。しばらくして家を揺らすような地鳴りにも似た雷鳴とフラッシュのような光が同時に落ちてきた。外の風景はネガポジの反転のように影と光がひっくり返り、すぐにホワイトアウトした。私の身体も青白い強烈な蛍光灯のような光に包まれ、後ろで本棚ががたりと音をたてた。長い時間のように思えたけれど一瞬だったに違いない。向かいの家の大きな木は青白い光に貫かれるように光り、次の瞬間にはもくもくと白い煙を吐いていた。火は上がらなかったように思う。しばらくすると階下から「○○さんとこの木に落ちたわよ」と話す声が聞こえてきた。本棚はまだがたがたと鳴っていた。

本棚の右手に寝室がある。私と母はいつもこの部屋に泊めてもらった。