風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

But not for me #6

コース最後のデザートはチョコレートとコーヒーのムースだった。上にバニラアイスクリームが乗っかっていて食べづらい。つるんとしたムースの上に危うげに載せられたアイスクリームはスプーンを入れるとすぐにつるりと皿に落ちた。

「食べづらいな」

と言うと、同じようにアイスクリームを皿の上に落としているのは伊東だけで、女子二人はきちんとアイスクリームとムースをきれいにスプーンの上に乗せ、口に運んでいる。ああ、なるほどね。ナイフ、使うわけね。女ってこういうことはすごく器用だよな。

さっき花ちゃんの幼馴染たちが(ギャルだ)へったくそな歌を披露して(かわいかったけど)、あとは両親への花束贈呈と花婿だか花婿の父からのご挨拶で終了だ。やれやれだ。

ああ、ほんとうにやれやれ、だ。甘ったるいチョコレートムースを食べながら、身体中のあちこちが、それどころか心の中まで緊張していたことに気がつく。そして今、ゴールを目の前にして全てが弛緩していくのがわかる。

よかったよ、お前とトウコが手に手を取りあって披露宴会場を抜け出す、なんてドラマにもなんねえようなことしてくれなくてさ。

そんなこと起きるわけもないんだけど。ほんと俺って情けないよなあ、って心の底から思うけどさ。もう何年もびくびくしながら生きてきたから、例え1%の可能性の欠片にさえ怯えちゃうんだよ。笑っても、いいよ。

俺自身、泣きだしたいくらいに安心している自分が情けなくもある。それでもさ、トウコが好きなんだ。

失うくらいならさあ、ずっとお前の影に怯えている方が良かったんだよ。気付かないふりしてさ。気にもしてないいってふりしてさ。男のくせに情けない、って言われても。トウコの手にすがりついてでも。

でも、これでもう、ゴールだ。結局これからお前の眸に映るのは過去から来た影だけだ。トウコの眸に映るのも、それは過去の残骸だ。そんなもの、そのうち擦り切れて塵のように消えるだろう。もちろん今でなくてもいい、これからの話でいいんだ。その「これから」を握っているのは俺なんだから。ああ、そういう意味じゃ「ゴール」じゃないのかな。案外、スタートなのかもしれない。それってマジで疲れるけど。

トウコの過去が繰り返し針を落としたレコードみたいに擦り切れる頃には、彼女の眸にはお前じゃあなくて、俺がいる。

と、思いたい。って最後まで俺って情けないけどさ、それでもやっぱり1%の可能性は侮れない。だから、頑張るよ。

披露宴の最後、花嫁からの手紙。泣いてしまった彼女にハンカチを渡すカンノの横顔を見て、ああ、これでほんとのほんとに終りなんだな、と思った。てゆうか、最初から始まってもいないし、私たち何にも始らせようともしていなかったけど。

ぼんやりと暮れゆく空を眺める。そろそろ二次会が始まるころだ。イトウとセンバが司会して、リョウタロウは久々にDJブースに立つらしい。ビンゴとかやんのかしら。バッカみたい。

私はといえば、なんとなく立ち去りがたくて、式場近くの公園で、もう一時間ほども煙草を吸っている。もうすぐユウコとの約束の時間になる。また遅刻しちゃうな。怒るだろうな。

段々と濃くなる夕闇は、青いベールのように肌にまとわりつく。今は五月でもないし、ここには雪柳もないのに、どうしてだろう。あの夜の匂いがする。懐かしくて懐かしくて、心臓が雑巾みたいに絞られるような感覚がする。

あの時、カンノに触れようとして、その触れる直前に微かに体を引いたあいつの眼。あの眼は凄く良かった。私でいっぱいのその眼。だから私は見とれてしまって、もう一度手を伸ばすことができなかったんだ。

ああ、なんてださくてカッコ悪くて、でもどうしようもないくらいカッコ良かったんだろう、私たち。きっとみんなそう。19から21くらいのフラッシュのような日々。あの瞬間瞬間だけで生きているような時間は、荒く削り取っただけのダイヤモンドの煌めきのような日々だ。そんな中でした恋を、恋人とではなく、身を捩るような片思いを、結局きれいさっぱり忘れ去るなんて、今の私にはまだ無理だ。

過去の恋を忘れるなんて、誰かを本当に愛してしまった後でいい。その誰かがリョウタロウなのか、他の誰かなのかはまだわからないけれど。

星ひとつ見えない空を見て思う。今日は泣いていい。思い出を振り返って、ずるずるとだらしなく後悔すればいい。

私は灰皿に煙草を押しつけて、靴擦れの出来た足で、わざとアスファルトを蹴るように歩きだした。

―了―