風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

雨灯篭 五

日野さんが紫陽花の株を押し分け裏口に消えた後も、私は暫く灯篭の近くでぼんやりと佇んでいたようです。気がつくと袂がずしりと湿気を含んで冷たくなっていました。鼻の先から頬のあたりまで凍るように冷たく、それなのに胸のあたりは重たく熱い鉛を飲み込んだかのようにぼうぼうと燃えるようです。私の掌には白い封筒が、まるで私を突き放すかのように真白い封筒が握られています。私は灯篭の薄ぼんやりとした炎を眼の端にとらえながら、自分の部屋へと戻りました。

そうして、まるで花からその花びらを抜くように、時間をかけ丁寧に、封筒を細かく引き千切ってしまいました。母方の祖父が七歳の誕生日に贈ってくれた桜の木で出来た机に頬杖をついて、まるで桜の花びらのような封筒の残骸を両手で掬い、頬にそっとあててみました。雪のように冷たい、と感じたのはきっと気のせいでしょう。頬に涙が伝ったように思えたのも、きっと気のせいに違いありません。

夕方、母が大きな包みを持って帰宅し、それよりももっと遅くに父が帰宅し、私はその間何事もなかったように振る舞いました。家族というものは、何か大切なことに気がつかないふりをしていればそれなりに機能するものです。父は母と私が傷ついているということに、母は父も私も何かを隠しているということに、そうして私は母と父がもう既に愛しあう二人ではないということに。お互い気がつかないふりをしていれば日常はそれなりに続いて行くのです。善きにせよ悪きにせよ。目隠しをしながら進み、行き着く先は地獄なのだとしても。私はこれまで通りの日常を守りたいと思いました。

いいえ、いいえ、そうではありません。私は日常を守りたいだなんてちょっとも思いやしなかった。父も母も私も、お互いにお互いから眼を逸らしているようなこんな日常をだれが守りたいなどと思うでしょう。そうです、私は母にあの人を完全に捕られてしまうのが嫌だったのです。醜い嫉妬の感情が、その指先が母宛の封筒を破らせたのです。私はその晩、夕餉の膳の前、いつも通りの笑顔の下で自分の血が凍りついているのを感じていました。嫉みの炎で丸裸になった魂だけがふわふわと宙に漂い、じいっと私の抜け殻を睨めつけているような心持が致しました。

日野さんがお亡くなりになったと彼の郷里から電報が届いたのは、丁度それからふた月経った秋晴れの朝のことでした。

洗濯物を竿に掛けていた途中で電報を受け取った母はそれに眼を走らせると、一言も言葉を発しないまま部屋へと戻っていきました。ぴしり、と空気が固まるような緊張感に私は声をかけることもできません。紙のように白くなった母の手から、かさり、と落ちた電報を拾い上げ、次は私が言葉を失う番でした。

彼は海釣りに出かけたまま帰らず、九日後に隣の県の砂浜に水死体として打ち上げられたとのこと。これまでのご厚意を有り難く思い、云々ということが事務的に述べられていましたが、私は「死」という文字に瞼の裏が大きく塞がれるようで、それ以上内容を理解することがどうしてもできませんでした。

そうして、これは罰だ、と思いました。私が封筒を破り捨てたことに対する報いなのだと。これが決定づけられた運命だったのだとしても、やはり母に手紙を渡していれば、日野さんは死なずに済んだのではないかと思うのです。

私が殺した。私が殺してしまった。手紙の内容がどういうものだったにせよ、母が一目その手紙に目を通していれば日野さんの未来はきっとつながったのではないか。きっとそうなのだ。言葉というものは、その人間の口から放たれた命の欠片です。私は彼の命をおろそかに扱った。自分の欲望の為に。その罰がいま下されたのだ。

私は立っていることができず、両手で顔を覆い灯篭の横に跪きました。涙は出ませんでした。その事実が一層私を絶望の底へと落とし込みました。