But not for me #3
でも、悲しむよりも怒らなければやってらんないほど、私は悲しいってことだ。
「ねえ、このパンちょーおいしい」
センバが私のお皿にころんと丸いパンを取り分けてくれる。シルバーとシャーベットグリーンがグラデーションになっている、綺麗にマニキュアされた爪。
「ねえねえ、ネイルサロンとか行ったの」
「行ったさあ。朝イチで美容院も行ったさ。だって思う存分着飾れんのって結婚式くらいじゃん?」
センバはぴかぴか光るピンクの唇で、綺麗に笑う。思わず自分の、味もそっけもないただ赤く塗っただけの短い爪を見る。トマト色の爪。5年前に買った、ブルーに黒の星柄のワンピース。履き古した朱赤のパンプス。私はセンバよりもリョウタロウよりも、いや、イトウよりもくすんでいる。もっとあからさまに気合入れれば良かったな。
スポットライトの下でカンノと花嫁が赤ら顔の友人たちに囲まれて、写真を撮られていた。パシパシ光るフラッシュに、花嫁のおでこが青白く光る。
「なんかもう飽きたなあ。早く終わんないかなー」
パンをちぎりながらぶつぶつ言ってると、
「ほら、ジンつぶしにいこーぜ」
と、イトウとリョウタロウが笑った。そうそう、写真も撮ろうぜ、とセンバがデジカメをクラッチから取り出す。
写真なんていいよーめんどくさいよー、とふてくされる私をイトウが引っ張り、あれよと言う間に私たちがスポットライトの下に入り込む。照明ってけっこう暑いのね。そりゃ花嫁もおでこテカるわ。
「じゃあカンノジンさん、花嫁にはなむけのイッキでよろしく」
イトウがカンノになみなみと注いだビールを渡す。照明で少し青ざめても見えるカンノが苦笑いでグラスを受け取る。
仰向くカンノの、白い喉仏。
あの日もそうだった。
あの夜もブースの中で、水槽の中の小石みたいに光ってた。カンノの白い喉仏。ヘッドフォンを片手にあいつは目の奥がずきずきしちゃうくらいかっこ良くて、くたくたっとした縞々のシャツも、くしゃくしゃっとした耳下まであるくせっ毛も、全部が私の心を刺した。
「吉牛行こうぜ」って、ブラックライトで歯を青く光らせて言うリョウタロウに、「胃的に無理」って答えて、カウンターで一人、ジントニックを飲む。ゆらゆら揺れるカンノの頭。ゆらゆらぶれる私の視線。そう、心もね。心だってゆらゆら揺れている。
ニール・セダカのLove Will Keep Us Togetherで始まったセットリストは細野晴臣の北京ダックで終わった。透明の黒と青と白の光がごちゃごちゃと混ざり合う中、踊るシルエットを掻き分けてカンノが歩いてくる。
「あれ、リョータロウは?」
「ヨシギュウ」
「トウコは?」
「重たいからパス。相変わらずカンノのセレクトってめっちゃくっちゃだね」
「でも好きでしょ」
白い歯をちょっと前のリョウタロウみたいに青く光らせて笑う。好きだよ。ああ、好きだね。
「確かにハッピーサウンズではある」
「最後、ジュリーか迷ったんだよねー。ごっよーじん、ごっよーじんって」
くねくね踊って、カウンターに肘ついて、ブラックルシアンを頼む。
「甘いお酒飲む男ってやだねー」
「うるせーよ。うまいってこれ」
ほら、と、グラスを差し出されて、黒蜜みたいなとろりとした液体を見つめる。舌先から喉の奥にするりと通り抜ける熱いような苦く甘い香り。アルコールで目の縁が潤むのがわかる。私はカンノに触りたい。触りたくって仕方ない。
触られたくって仕方ない。
内臓に響くみたいな重低音。空中でひび割れるみたいなボーカル。湿度の高い空気。それを抑えるための過剰な空調。煙草の匂い。ミックスピザの匂い。耳元に唇寄せてする会話。
「ねえカンノ、一休行こうよ。わかめラーメン食いたい」
カンノは「重たいんじゃねえのかよお」と言いつつも、「Yes,let's」と煙草を灰皿に押しつけて、夜の向日葵みたいに笑う。