風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

雨灯篭 弌

雨が降るといつもあの方は、傘もささずに紫陽花の株を、無造作に掻き分け掻き分け、勝手口へと回ってくるのです。

両手にぶら下げているのは、お酒の入った薄青い一升瓶と、とろりとした醤油が入った一升瓶であったり、艶々と濡れたように光る季節ごとの旬の野菜であったり、或いは鈍い銀色の缶にぎゅうっと詰められた香りのよい牛酪であったり色々です。

綺麗な色とりどりの外国のドロップをもらったこともあります。丸いガラス瓶の中でかちかちと音たてる宝石のような飴玉たち。口に入れると粘りつくようないがらっぽいような、騒々しいような甘さが広がりました。極彩色の味だと思いました。

あの方は訪れるたび色々な品を運んできます。風呂敷をぶら下げ、固く握られたこぶしは癇の強そうな青い血管が筋立ち、ただでさえ男の方にしては白すぎるような肌が一層白くなるのが、子供心にもどこか痛々しく、そうなればこちらも一層眼を張って、枇杷の木の葉影の下で、息を潜めてただただ見つめてしまうのでした。

冬の霜柱のように冷たく、切るように痛々しい美しさをもった方でした。

美しい男というものを、私はあの方以外他に知りません。

雨の降る日、私の父は坂の下へと出かけます。「坂の下」というのは、竹藪の影の中にひっそりと佇むような古い平屋の一軒家で、そこには柳橋で一の売っ妓だったと噂のある女性が一人で暮らしていました。今は三味線を教えて生計を立てているとかで、いつだか夏の夕暮れに、買い物帰りにその門の前を通りますと、絹糸が弾けるような細く美しい声音と、繊細だけれども強かな三味の音が、薄青い暮れ方の通りをぽつんぽつんと行ったり来たりするように、ゆらゆらゆらと漂っておりました。

籬に咲いたつる草の

花 白々と 更くる夜や

三味の音の間を縫って、夕闇がしとしとと雨だれのように落ちてくるようで、お使い籠の柄を握りしめたまま、しばらくぼんやりと立ちつくしておりました。

父が三味線を習いに行っているのではないと知ったのは、その夏が終わり竜胆の花が咲いたころです。

雨が降ると、母の見送りもなく、振り返りもせずに坂の下へと向かう父。その父と入れ替わるかのように雨の中、勝手口へと現れる青年。雨の降る日は、まるで騙し絵のようです。

雨の中、父が出て行ったあとの母は悲しい顔をしておりました。そうして同じ雨の中、青年を迎える母は苦しそうな顔になるのです。

どちらの母も幸せではない。それは子供の目にも明らかな事実でした。枇杷の葉影の下で私は雨の日を心の底から呪ったものです。

雨灯篭弐