風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

雨灯篭 弐

青年の名は日野といいます。父は専門学校の美術教師を勤めていて、彼はそこの学生でした。父は西洋画専攻で、日野さんは日本画でしたけれど、お互い年齢も領域も超えて響くものがあったらしく、出会って一年程はよく家にもいらしって、応接間で二人、葡萄酒をさんざ召し上がったり、ルソオだの藤田だのゴッホだの、演説ぶるのはもっぱら父でしたが、愉しげにそのまま夜を明かしていらっしゃるのを何度も目にいたしました。二人は仲の良い、年の離れた兄弟のようにも見えました。そんな二人の間で母はいつも柔らかく微笑み、茹だる夏は茗荷に蜆のおみおつけ、しんと冷たい冬の夜には温かいシチュウなど、くるくるとお勝手で立ち働いておりました。日野さんはいつも母の心尽くしの手料理を喜んで、アルコオルで紅潮した頬を隠すように母に頭を下げるのでした。まるで子供みたいだと、子供の私は生意気に思ったものです。

彼が我が家から遠のいたのは、雨の日の父の事情を知った為です。髪の先から爪の先まで清廉潔白といった風情のあの方から考えれば、それも当り前のことではありました。当時そんなこととは露とも知らなかった私は、日野さんの不在をさびしく思っていました。

私の家は父の趣向で洋風に作られています。さほど広くない敷地には青い屋根、灰がかった白色の壁に出窓のある洋風の建物と、薔薇のアーチの掲げられた鉄柵の門、絡みつく薔薇の垣根。花壇には三色菫やアネモネ、ダリヤ、宿根草、時計草、いろいろな花々が植わっていて、季節ごと華やかな彩りの美しさがありました。父は私にもひらひらとした花びらのような洋服を着せたがりましたけれど、私はと言えば、母の仕立ててくれる撫子の柄の浴衣や、紅葉に車や牡丹や桜といった、季節の花々が柔らかに散った着物たちの方が肌に馴染むのでした。

表も中も洋風に作られていましたが、裏庭だけは違いました。鉄柵の小さい門を入れば紫陽花に千両万両、紫式部。土に湿った飛び石を渡れば松葉牡丹に福寿草黄水仙に桔梗、竜胆、季節ごとに楚々とした姿を現します。白侘助の肉厚な緑濃い葉。枇杷や柿、通草といった実の生る木々の暗い木陰。狭い敷地の中、慎ましげな花々と、素朴な木々が犇めき合います。裏庭だけが母の好きなようにできるささやかな空間でした。表の庭よりも小さく、混沌とした薄暗いこの空間が私は好きでした。

紫陽花の株の横に石灯篭がどしりと置かれていて、それも私の気に入りでした。抹茶の粉のような苔の点々と付いた古い石灯篭。ざらりとした石の手触りと、しんみりとした冷たさが心地よく、小さな神様が中に住んでいらっしゃるような形もどこか神秘的で思わず見惚れたものです。母は雨が降るとこの灯篭に火を灯しました。いつの頃からか、私はこの灯篭を雨灯篭と呼ぶようになりました。

しょうしょうと薄青い雨の降る中、ぼんやりと灯された橙色の小さな炎は水の中に蛍がいるようにも見え、幻想的で美しいものでした。

そうしてそのゆらゆらと揺れる炎に誘われるように、日野さんはいつしか裏庭へと現れるようになったのでした。

雨灯篭三