風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

ロロ Ⅲ♯Lolo became the Night

その瞬間、ロロは何が起こったのか全く分からなかった。見えたのは身体の周りを取り囲む、悪魔のような黒い渦巻。地鳴りと台風が一時に来たかのような轟音と衝撃。ロロとボルはまるでねじり飴のようにぐるぐるとねじれながら洗濯機の中のシーツのように黒い竜巻の中を音の速さで昇っていく。音速でぐるぐると回り続けながら身体じゅうが四方八方へと凄い力で引き伸ばされていくような感覚。目が回る、なんて生易しいものじゃない。ロロは黒い高速洗濯機の中、気が遠くなる。嵐のような轟音の中、がらーんがらーんと大きな鐘のなるような音や、狂ったヴァイオリンのような音、千個のハンドベルを一斉に振ったような音がする。ロロとボルの意識も身体も、ローラーで引き伸ばされたかのように広がり続け、やがて地上をはるか下に見下ろす黒い天蓋となった。

どのくらいの時が経ったのか、百年もの長い時のような気もするし、ほんの一秒の間のような気もする。ロロは成層圏から地上を見下ろしている。手も足も内臓も意識も、夜に溶けている。私もボルも、全く完全に夜になっちゃったんだわ。

ロロは今とてつもなく大きい。その目は同時にすべてを見つめている。海を、草原を、山を、町を。身体のあちこちで星たちが、氷がかちあうような微かな音を立てている。身体じゅうを夜風が吹きわたり、足のあたりにはオーロラが煌めく。どうやら耳元には月がぶら下がっている。ボルの気配は身体中に満ちている。きっとボルも同じ気分だろう。

夜の幕の下にある海は黒い鏡のように暗い光を放ち、町からはクリスマスツリーのような光がちかちかと瞬く。小さな漁船も見えるし、おなかのあたりを飛ぶジャンボジェットも見える。そのもっと下を飛ぶ渡り鳥の群れも、もっともっと下の、世界で一番高い木に止まって眠る一羽のカラスも。ありとあらゆるものを見ながらロロはすべてを包み込むような穏やかな気持ちを感じていた。神様って、こんなお気持ちなのかしらね。

身体を駆け巡る夜風が気持よくて、ロロは思わず歌を口ずさんだ。

Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are! Up above the world so high,

Like a diamond in the …

ロロが歌い始めると口元あたりに薄い煙のような灰色の雲が集まり始め、ゆらゆらと音に合わせて揺れだした。

「歌を歌っちゃいかん!やめるんだ!」

下のほうからしわがれた声が響いて、ロロは思わず息をのむ。その途端、眸の辺りからザアッと大粒の雨が降り出した。海に吸い込まれていくダイアモンドのような雨粒。その雨に逆らうように青いガラスでできた熱気球がロロの鼻先めがけて昇ってくるのが見えた。青いガラスの中で水色と黄色の炎が燃えている。青硝子の下の籠に乗っているのは、公園にいた『夜』だ。

熱気球はロロの鼻の頭あたりで止まると、ガラスの下から『夜』が顔を出して、

「馬鹿者!」

と、銅鑼のような声でどなった。ロロはどきどきしながら、傘を勝手に取ってきたこと、勝手に開いてしまったことをできるだけ丁寧に心をこめて謝った。本当にごめんなさい、でもどうしても開きたくって、どうしようもなくなっちゃったの。ごめんなさい。すると『夜』は、そんなことはどうでもいい、と憤懣やるかたない様子でロロの言葉を遮った。

「夜が歌を歌ったら雨が降る、そんなことも知らんのか!雨が降ると決められている日以外に歌は歌っちゃいかんのだ」

ロロの耳元で月がちかりと瞬いた。煙のような雲の下の雨粒はもう噴水の飛沫よりも細かく、霧のようになっている。

「ごめんなさい。私ほんとうに知らなかったの。でもちょっとしか歌ってないわ」

ふん、と『夜』はその灰色の顔にしわをよせ、ちょっと掌を籠の外へ出して雨足を確かめた。

「ハミングすればにわか雨、囁くような声で歌えば霧雨、大声で歌えばたちまち台風だ。お前のような節操のない子供には夜を治めることはできないんだよ。こんなことがないように、子供は夜になると眠くて眠くてどうしようもなくなるようにできているのに」

ぶつぶつと本物の『夜』は不機嫌そうに眉をしかめている。

でも、そんな大事な傘を置き去りにしちゃったのはあなたじゃない、と思いながらも、やはり泥棒としては大きな口は叩けない。それでもロロは肩身が狭いながらも聞きたいことがたくさんある。こんな時に質問したら、もっと怒られちゃうかしら。ロロは恐る恐る『夜』に問いかけてみた。

ロロⅣ♯Singin' in the Rain