ヨモギは夢で月を見る
なぎさ公園近くに住む老夫婦が飼っている猫のヨモギは、いつも深遠な哲学者のような顔でボンネットの上に寝そべっている。
その昔、まだ老夫婦が若夫婦であったころには頻繁に動いていたであろう年代物の黄色いワーゲンの上で寝そべる彼女の視線は、太陽も風も蝶々も、全ては神の手の中にあるとでも言いたげに冷ややかだ。
老夫婦は彼女のことを「ヨモちゃん」と呼ぶ。あるいは「モギちゃん」と。人間はその場その場の感情に無防備に従順な生き物だから、その場その場の思い入れで呼び名が変わるのも、いたしかたないと猫の額ほどの脳みそで彼女は考えている。彼らの乾草の匂いするような優しい声がヨモギは好きだ。あの二人は黄昏時に似ている。
ヨモギはたまに「よっちゃん」とも呼ばれる。「よっちゃん」の「よ」が、「ヨモギ」の「ヨ」でないことを、ヨモギは知っている。「よっちゃん」の「よ」は、老夫婦の一人息子の名前の頭文字。都会という世界に出掛けたまま、なかなか帰らない男の子。迷子の子猫と大差ない。ヨモギは都会を知らないけれど、きっと素敵な何かが待っていると勘違いしてしまうくらいにはきらびやかで、実はそんなものは何も待っていないのだということを何十年も隠し通せるくらいには普通の顔したところなんだろう。
ヨモギの眸は銀杏色。闇夜にぺかぺかと瞬く豆電球のような銀杏色。
貝釦のように光る、冴え冴えとした月の下、温かいボンネットの上でヨモギはまるでアカシックレコードにアクセスしているかのように目を閉じる。瞼の裏の、夢の中の月に話しかける。夢の中の月は空で見るよりも青白く貧相で、神経質に見える。
ヨモギはお月さまに問いかける。
「角の煙草屋のネリ婆さんが言っていたけど、猫は死んだらお月さまの国に行くんでしょ」
「ああ、そうさね。俺んとこにはあんたの仲間がいっぱいいるぜ」
月は煙草をひと吹き、歌うように答える。ヨモギはやっぱりね、という顔で鼻にしわを寄せた。
「で、そこには猫しかいないわけ?」
月は眉間にしわを寄せて、ちょっと上を見るようにして考えた。
「そうさな。ウサギも来るね。あいつらは昔から俺んちと仲が良い。ああ、クラゲも来るね。海月ってくらいだからな」
ふんふん、とヨモギは考える。時計草の揺れる音。薄めた墨汁のような夜の空気。黒に溶ける月光の白。ヨモギは銀杏色の眸を光らせる。
「猫はどうしてお月さまんとこに行くのかしら」
月はピカロのような笑みを浮かべて答える。
「あんたたちは眸の奥に満月を隠してるじゃないか。だいたい猫ってのはもともと夜風と月の光で出来てんだ」
ああ、そうだった。ヨモギの目から鱗が落ちる。私の眸の中にはお月さまがいるじゃない。きっと食べちゃったのね。夜になるとピカピカと光って空にも昇れそう。
時計草が揺れて、どこかの軒先の風鈴がりーんと鳴る。ヨモギは目を覚ます。そこに夜はまだ佇んでいたけれど、すでに月は知らん顔して空の底。猫のため息は夜の闇をいっそう増す。柔らかい風の中、ヨモギは再び目を閉じる。
―人間は死んだらどこへ行くのかしら。
ヨモギはぐいぃと体を伸ばす。どこかの闇で花びらがはたりと落ちる気配。
(あの優しい人たちも、一緒にお月さまんとこに行けるなら、焼き鯖とくるみが入ったあのおいしいご飯を毎日食べられるのに)ヨモギはうっとりと考える。
それから時々、老夫婦の眸の奥にも満月が隠れていないかどうか、じぃっと二人の眸を見つめてみるけれど、満月は見つからない。
甘い、茶玉飴のような優しい眸に映る一匹の白い猫が見えるばかり。