風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

宇宙に雨は降らない

七夕雨。青く煙る窓の外。町は蚊帳を吊るしたように霧の中にすっぽりと沈み込んでいる。

子供の頃、七夕といえばいつも小さいマンションには不釣り合いなわさわさとした大きな笹を母は買ってきて、金銀五彩の折り紙で絢爛豪華に飾りたて、短冊も書くのは私と母とだけで、願い事だって二人合わせたってそんなにない。

それでも無理やり「字がきれいになりますように」だとか、

「宝くじあたりますように」なんて、たいして本気で考えてもいないような不埒な願い事を書いて笹の隙間を苦し紛れに埋めていった。

しばらく部屋に飾って(狭い部屋にピアノと笹とで非常に邪魔だった)、当日の朝、ベランダに出す。七夕というのは曇りや雨の日が多いので、灰色の空の下、もしくはびそびそと降る雨の下、無理やり飾り立てられた笹は、遠目からみるとまるで煌びやかで豪華なゴミのようだった。

それでも私は笹の爽やかな鶸色やかさかさとした匂い、そこに絡みつく安っぽい折り紙のいがらっぽいような人工的な匂いや下世話な色どりが好きだった。笹の葉をくぐるようにして食べるご飯も好きだった。

雨が降ると、七月の恋人達は会えないのだろうか。否、と教えてくれた友達がいる。小学校3年生の時の話だ。かささぎが飛んできてくれるせいではない。

七月。子供たちの高い体温と梅雨のせいで教室内の湿度が高く、床から張り付くような木の匂いや洗いたての体育着や洗っていない上履きの匂いやら、いろいろな匂いが靄のように立ち上る。

季節がら担任教師は七夕の話をしていた。B先生という(ダーティーハリーに似ているといったら母は爆笑していたが)駄洒落ばかり言う、子どもには人気の40そこそこの男性教師は、

「今日みたいに雨が降ってしまうと織姫と牽牛は会うことができなくてかわいそうだね」と、無垢で無知な子供たちに、無害で純粋なお話をしていた。

道徳の時間かホームルームだったのだろう、机の上には確か折り紙を切って作った短冊が置かれていて、願い事を書いてエントランスにある大きな笹竹(全校生徒の願い事を担うかわいそうな笹)に飾りましょう、というような時間だった。

あまり無垢ではない私は、雨が降ったら鳥が飛んできて天の川にかかる橋になるんじゃなかったっけ、と短冊を睨みながら考えていた。願い事なんか家の笹に吊るしきってしまったのに学校でも何か願わなきゃなんないなんて。

そんな私よりももっと無垢でない子供がその教室にはいた。

その子供がぼそっと言った。記憶力の悪い私がいやに鮮明に覚えている。

「宇宙には雨、降らないんじゃない?」

なんていう身も蓋もない言葉。目も当てられないって感じ、と語感だけで思った。

B先生がその時どんな対応をしたか覚えていないけれど、本人よりもなんだか動揺してしまったのを覚えている。紫陽花揺れる雨の帰り道、灰色にけぶる遠い空の上のことを考え考え歩いていた。

宇宙に雨は降らない。星の恋人たちには地上に降る雨など関係ない。

七夕に雨が降るといつも思い出す。

宇宙には雨、降らないんじゃない?