風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

202205290623 明け方の夢

真っ白な日盛りの中を友人Bと歩いている。漫画の中の真夏のページのように、世界の余白という余白が白く眩しく、輪郭は細く途切れそうに薄い。陽を遮るもののない長い一本道を歩いている。砂を踏むじゃりじゃりという音が二人分。遠く蝉の声が数千匹。陽の光はじりじりという音立てて降ってくるようだ。

「夏は芋の天ぷらが食いたいなあ」と友人Bが言う。今そんなもの食ったら喉に詰まって苦しいじゃないの、どう考えたってかき氷か果物がいい、サイダーの一本でも飲みたい、と文句を言うと、細い薄い輪郭の余白だらけの屋台が現れた。

残念ながらかき氷も果物もサイダーも売っていないが、鉢巻まいてステテコ穿いた細い老人が日傘を売っている。干物のように日傘がずらりと台の上に並んでいる。

「日傘どうだい。暑いだろう」

「雲も出ないし、遮るものがないからね」

「この道はずうっとこんな感じだよ。店も俺んとこだけだ」

じゃあ買った方がいいかしら、と答えると、老人は次々と日傘を開いて見せてくる。

「ほら、これなんかどうだ。桜の柄だよ。開くと花びら散るのが綺麗だろう。枝垂れ花火もこのとおり。こっちは冬の雪景色。差してるうちにどんどん積もるよ。こっちは海だ。たまに時化るが、なにどうってこたない、たかが染めだ。あんまり時化ると濡れるけどよ」

老人が日傘を一本一本開くたび、桜吹雪が舞い、花火が弾け、粉雪が舞い、波が砕ける。真っ白な余白の真夏日が急に色づく。こんな日傘見たことない、おまえ狸だろう、と老人に言うと「ちくしょう、ばれた」と言って走って逃げた。走って逃げるのは掠れた筆で書いたような細い小さな狸だった。色も消えた。蝉の声が戻る。砂踏む音も。

化かされるとこだったわね、と足元を見ると日傘が一本落ちていた。友人Bがそれを開くと、あっという間にベタ塗りのような墨色の夜になった。蝉の声が消えて、代わりに星が鳴るような音がする。すうっと細い光が線を描く。蛍だ、という友人は先ほどの屋台の老人になっていた。藍鼠色の浴衣を着込んで、到底狸には見えない。

「これは夜の日傘だったのね」と老人の顔を覗き込むと、その目に映る私も老婆になっている。畳んでしまったらきっと夏の日盛りに戻ってしまうから、そのまま良い夫婦のように、狸と星降る夜の中を歩く。

 

202202131110 4℃ 雨

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雨は一粒一粒ものがたる、とは山村暮鳥

まさにその通りだと雨の日に窓際でぼんやりしているとしみじみ思う。

雨音は一粒一粒記憶の音だ。

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あんまり体が冷えるので、スープが飲みたくなった。

鍋に油をひいて、ニンニクと鷹の爪。

くし切りの新玉ねぎと適当に切ったトマトと鯖缶を入れて炒めて、

水とその時ある出汁(和風でもコンソメでも。今日は白だし)入れて、

塩胡椒やらスパイスやら、気分で醤油入れたり、酢を入れたり。

具だってまあなんでもいいのだ。ウインナーとセロリでも、鮭とじゃがいもでも。

ポークビーンズの缶にマッシュポテトを牛乳で伸ばしてみてもいいかもしらん。

スープというのは実に寛容なジャンルだと思う。

今日は鯖缶トマトスープにカルディで買った韓国春雨を入れた。

しみじみ美味しい。温まる。スープだって記憶の味だ。

これもいつかのスープだし、この雨音もいつかの雨音で、そんなこと思い出しながらいつか死ぬんだろう。

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なんとなく編む手も滞っているというのに毛糸を買い足してしまった。

羊毛破産したらどうするんだ、私。

 

 

 

 

月と無花果 参

隣の庭の山茶花が綺麗に色づいている。年間通して芝はいつでも綺麗に刈りそろえられ、花壇は春夏秋冬季節の花が絶えないように植えられている。丁寧に作られた箱庭みたいなきちんとした庭だ。温子は二階のベランダで洗濯物を干しながらお隣の庭を眺めるのが好きだ。植物は好きだが、育てるセンスはない。鉢のスグリも、小さなモミの木も、ミニバラもワンシーズンで枯らしてしまった。サボテンを枯らしたときに、ようやく自分には緑の指がないのだと諦めがついた。なんていうかママは茶色の指だよね、と娘には揶揄されたものだ。その娘も緑の指を持っているとは思えない。その点、母はきちんと花の手入れの出来る人だった。遺伝も隔世遺伝もしなかったのねえ、残念、と温子は横目でちらともう一度お隣の庭を見下ろして部屋に戻った。

ケトルを火にかけ、豆を挽く。中挽きで概ね7、8秒。沸騰するまであと10分くらい。壁の時計は9時50分になるところ。珈琲を淹れたらテレビをつけて録画しておいた海外ドラマを観よう。束の間、音なき音を聴く。水がお湯に変わる間の、裏の竹藪に風が渡るその数多の葉擦れの、遠くで鳴く尾長の、隣家の微かな人々の気配の、しかと認知されない音なき音たち。

珈琲を蒸らしていると夫がタイミングよく上がってきた。それならば、と温子は思う。まずは先週の大河を観てからだ。夫が一日休みの日は撮りためたドラマを一緒に観る。温子ひとりの日は海外ものからだが、夫が一緒の時は大概時代物からになる。ドラマだけではなく、二人の間にはさまざまな序列が存在する。食べたいもの見たいものやりたいこと。全て夫が筆頭に。しかしそれは温子にとって煩わしいものではなく、むしろ心地よい順当な流れになっている。身を任せていれば安心できる。そうして四十年近くそう思って暮らしてきたことにふと不安な気持ちになる。ついさっき、一人で音なき音を聞いているようなときに不意を突かれる。

自分は覚悟も自覚もなしにお婆さんになっているのだと気づいてどきりとする。なんたる不覚、と思いながらも、隣に座る安心すべき存在よりも先に死ねば問題ないなんて考えている。全く不埒な婆あだ、と、温子は自身に毒づく。

202112211941 9℃晴れ

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あっという間に師走も終わりに近づいて。驚いてしまう。

春号の投句、今回はどうにもこうにも浮かばなくて、

本当に締め切り日ギリギリになってしまった。

忙しくても、浮かばなくても

「続けることが大切です」

という先生の言葉を杖に進んでいく。

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ピンクちゃんは5歳に。こちらもあっという間。

気がついたら二人とも社会人になっていた、となりそうで震える。

時間というのはすごい。とても長く果てしないところにいた気がするのに。

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明日のお風呂用の柚子。お向かいさんにいただいた。

良い香り。

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春号の十句

 

手羽先を煮てぼんやりと居待月

九月尽祖母の手白く柔らかく

今よぎりたる秋蝶はまぼろし

柿の実へ夕日を乗せて五等分

団栗を握りしめ子はほくほくと

骨上げや南天の白あはあはし

次次と鳥くぐりゆく冬の虹

待つ人の白髪きらきら寒茜

冬ざれやあちらこちらに過去がゐて

匂ひ立つ棟木にとまる寒オリオン

 

 

 

202111211721 13℃ 小雨

今日は朝から薄曇り。鳥はこの時間もピイピイキィキィ鳴いている。

午前中に公園でひとしきり遊ぶ。

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紅葉している木々と常緑樹が曇り空の下で淡く重なって安野光雅の絵のようになっている。

鴨が微動だにしない。捕まえられそう。

 

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母が40年以上前に編んだセーターを着て編み物をしている。

子どもの頃よく母はこのセーターを着ていたなあと思い出す。真っ赤なセーターに真っ赤な口紅、カーリーヘア。

70過ぎた今も私なんかより数段洒落ている。