風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

終末の幽霊

夜の扉を開けたら、天井に吊るされた星たちがさわさわとさざめく。

冬の匂いと金木犀の金色とともに入り込んだ俺に向けられるバーテンの流し目。それは一瞬の、眼球の不随意運動に過ぎない。視線は俺の頬をつきぬけ、闇を漂う。

夜の底に沈む店内には滲むように星々が光る。煌くよう、ではなくて、浮かぶようにぼんやりと淡い光を漂わせている。太陽から遠く離れたこの店の中で、星はオパアル程度の輝きしか保てないのだ。

肩にかかった金木犀の金色を落とす。砂金のようなそれはきらきらと淡い反射を繰り返しながら暗闇の底に落ちていった。スツールに腰掛けた女が赤い唇を開く。

「ねえ、いま光が落ちていったわ」

女の唇は珊瑚を溶かしてラップで包んだような滑らかで柔らかい赤色をしている。かちり、と硬そうな白い歯が真珠のようにちらりと光って、ぞくぞくとした。

指で梳けば絡み付きそうな細い銀色の髪の毛は、まるで煙のようにふわふわと暗闇に浮かぶ。

バーテンはグラッパを注ぎながら

金木犀の花粉でしょう。今は秋と冬のはざまですから」

と、答えた。

滑らかな声には感情というものが一切感じられない。この男はレプリカントなのか。

「扉が開いたような気もしたけど」

物憂げな女の視線は俺の眸まで、綺麗な直線を描いている。しかしながらその線は俺の眸を突き抜けて闇の底に吸い込まれている。

俺は終末をもたらす幽霊だから、レプリカントも女も、視線の先には夜の闇しか浮かばない。

透明のアルコオルが注がれた透明のグラスの上にバーテンが、人差し指で小さく輪を描く。

グラスの縁に虹の輪がかかった。夜の虹。光の下のそれと違い、闇に沈む淡い虹はどこか退廃の色を帯びている。

その虹を指先で弾きながら女は言う。

「私はいつからここにいるのかしら」

幾億年も昔から。

届かない言葉は少しばかり空気を震わせただけだった。

「いつまでここにいるのかしら」

女は頬杖をついて俺の眸を見つめながら独り言を呟く。その眸は美しい灰色で、俺はその灰色の中に映りこむことのできない自分を少しばかり残念に思う。終末をもたらす俺は、やはりここでは幽霊なのだ。

「あの扉の向こうには何があるのかしら」

あの扉の向こうには終わりしかない。

お前たちは開く術を知らないから俺は繰り返し繰り返し訪れる。

もうすぐ、この世界の終わりである夜明けが、来る。

俺の名は夜明け。永遠に繰り返される決まりごと。夜の世界に終末をもたらす幽霊。

俺がもう一度扉を開くと全てが反転し、光はそれを柔らかく溶かした。

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