風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

バスタブの人魚 Ⅱ

彼女は時として砂糖菓子みたいに優しい時もあるし(ごく稀だ)、時としてクラゲみたいに意地の悪い時もある(基本的にだいたい)。

彼女の口癖は

「アイスクリームを買ってきて」

「ピンクの薔薇を摘んできて」

「私の髪にはターコイズブルーのヘアバンドが似合うと思わない?」

「あんたってほんと愚図ね」

「本を読んで」

「眠るまで傍にいて」

彼女はある時、さめざめと泣き出した。

「なんでこんな狭いバスタブに閉じ込められなきゃなんないの」

冗談じゃない。勝手に現れたのはそっちじゃないか、と思うけれど、口には出さない。ほら、同じ轍は踏まない、だ。

「もし、海に帰りたいなら送っていくよ」

それにはバスタブ大の水槽と軽トラックが必要だけど、と思いながら恐る恐る言ってみると、彼女はこれ以上ないってくらい蔑んだ口調で、

「あんたってほんっとなんにもわかっちゃいないのね、あんぽんたん

と言った。それから数日は口もきいてくれなくて、なんやかんや色々言い付けられないのは良いのだけれど、地中深く埋められたアンモナイトのように沈黙する人魚は、真夜中の不穏な石像みたいに凄みがある。

どうにもやりきれなくなってしまい、仕方がないから学校帰りにアクアブルーの海みたいな色した便箋と赤いガーベラを買って帰ってみたら、いとも簡単に、それこそ海の青みたいな眸を潤ませてくしゃっと笑った。あまつさえ小さな声で「ありがとう」なんて言っちゃって。

そしてそれは悔しいけれどほんとに凄くチャーミングで、それだけ見ればそれこそ骨抜きにされちまうような女の子なんだけど、彼女の本性を知っている僕としては、何だかなあ、といったところで、それでもやっぱり彼女の笑顔には悪い気はしないんだから嫌になる。