風景喫茶

備忘録(風景喫茶より)

バスタブの人魚 Ⅰ

僕の家のバスタブには人魚が棲んでいる。

と、話したら、クラスのみんな笑うだろうけど(そしてそれは好意的な微笑ではなく嘲笑だろうが)、事実うちのバスタブには人魚が棲んでいる。

ある金木犀の香りのする夜、バスルームのドアを開けると湯気の向こうには人魚がいた。

彼女の第一声がふるってる。

「ねえ、熱ーいエスプレッソに冷たいミルクを少おしだけ入れて持ってきて。ミルクよ!クリープなんて入れたらぶっ飛ばすから」

溶けかかったバニラアイスみたいな白い肌に、スパンコールみたいにきらきら光る鱗に覆われた下半身(というより尾ひれ)。腰まである髪はトマトみたいに綺麗な赤で、バスルームのミントグリーンのタイルに素晴らしくマッチしていた。

パパやママが入る時には、貝殻の形のソープディッシュの下に隠れてしまうそうだから、彼女のことは僕しか知らない。

ということは、彼女のことを知っているのは僕だけ、ということだから、おのずと彼女の要求やストレスや気まぐれな好意やその他諸々、僕が一手に引き受けなければならないということだ。

これってちょっと面倒くさいし心外だ、としばしば思う。だけど僕がそうしばしば思っていることは彼女には言わない。言ったら烈火のごとく怒り出すのは目に見えている。

一度だけ、「何故勝手に現れた君のために僕が僕の時間を削って君の要求を聞かなければならないんだ云々」といった不満をぶつけたことがある。彼女が午後のお茶をしている間、隣に座って如雨露で虹を作っていて、とお願い(命令)した時だ。

その時の彼女ったら心底見せたかった。髪の毛なんてキャンプファイアみたいにめらめらと逆立って、それに反比例するかのように顔色はソーダ味のシャーベットみたいにすぅーっと青褪めていった。素晴らしく形の良い、珊瑚のようにつやつやとした綺麗な唇から飛び出す火花みたいな罵詈雑言。僕の頬っぺたには漫画みたいな手形までついていた。

僕はまだ子供だけれど、同じ轍は踏まない主義だ。